ビルドンブング

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散歩とジョギングで目的が違うのだから両方すればいい

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定期的に散歩とジョギングを切り替えている。
体を動かして汗を流すのが健康的で気持ちいいと思ったらジョギングを習慣化していた。
しかし散歩で頭をリフレッシュさせたり考え事をする方が生産的だと思ったらジョギングをすっかり辞めて散歩ばかりになったり。
そういう両極端な
性格なのだが、それでも時折「散歩とジョギングどっちがいいのだろうか」と考えてしまう。
それはつまり、どちらかでは満たされない部分があって、どちらかだけで全てを叶えようなんてできないということだ。
 

ジョギングは運動

ジョギングをしていた頃は、1日の始まりと終わりに走るのが好きだった。
朝起きてすぐだと体が固まっているので、1時間後くらいか。
目覚めきっていない体を動かして、頭も体も目覚める感覚が気持ちよかった
外を走っていたこともあれば、ジムに通ってランニングマシンを使っていた時期もある。
好きなペースで街の雰囲気を感じながら走れるのが外ランの魅力、雨の日や真夜中でも気にせず走れるのがジムの魅力。
一長一短だが、走り終えた後の爽快感は、どちらも大して変わらない

散歩はリフレッシュ

あえてウォーキングではなく散歩という言葉を使う。
ウォーキングだと運動の側面が強いが、散歩は異なる。
考えなくてもできる単調な体の動きで、頭を休める行動だ。
実際、歩いてみると体ではなく頭の方がスッキリする。
ずっと悩んでいたことが突然解決したり、そこまで行かなくても解決のヒントになりそうなことくらいは思いついたりする。
思い返してみると、過去の「やるな自分」と思えるようなアイデアは、ほとんどが歩いている最中に閃いたものだ。
また、ずっと家の中にいて詰まった空気を吐き出して気分転換になる効果もある。
家にいると、どうも閉塞的で、思考も窮屈になっているように感じる。
それが外に出て歩いていると、開放的で思わぬアイデアが湧いたりするのだ。

両方すればいい

というわけで、ジョギングと散歩では求める効果が違うわけだ。
しかし、それをウォーキングという存在が混乱させる。
散歩にどうしても運動の要素を意識させてくるのだ。
もしも散歩を習慣化しようとすると「散歩で歩いているから、ジョギングはしなくていいか」という思い込みが生じる。
実際、私がそうだった。
だから今まで散歩とジョギングが両方入った習慣に身を置いたことがなかった。
しかしこの記事で整理したように、それぞれの目的は違う。
散歩の目的は運動ではないし、そもそもウォーキングと違ってそこまでの運動強度はない。
だったら両立も可能なのではないか。
朝起きた1時間後にジョギングに出て、それからしばらくして朝日が登った後の清々しい公園を歩く。
ジョギングを数時間前にした後だから疲れているかもしれない。
しかし、散歩の目的は歩くことよりも頭をリフレッシュさせること。
疲れていて、疲れているなりにのんびりと歩けばいい。
誰も何分でどれだけ歩けなんて言わないし、自分で意識する必要もないのだ。

終わりに

今までの私は、散歩に運動の要素も持たせて、ジョギングのメリットまで散歩で享受しようとしていた。
だからいつ、どこを歩けばいいか悩んで、しかし答えが出ないでいたのだ。
それはそうである。
最近は午前2時に起きる生活にはまっている。
その1時間後に体を動かすとなると午前3時、外はまだ暗く、早朝というよりも深夜と言うべき時間帯だ。
そんな時間に散歩をしたところで、気分がそこまで晴れるわけではない。
そもそも、散歩の目的は頭のリフレッシュなのだから、起きてまだ1時間の段階でそこまでの休養は必要ない。
これが、散歩を運動と捉えた弊害である。
そこは潔くジョギングして、頭が疲れたらその時にまた別で散歩すればいいのだ。