ビルドンブング

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散歩は目的なく歩くから気持ちいい

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休日であれば1日に3回ほど散歩する日も珍しくない。
朝、昼、夕方だ。
ところで、朝の散歩をしていて気になったことがある。
平日、会社へ行く時も歩いているのだが、徒歩通勤と朝の散歩で清々しさが異なるのだ。
歩いている時間帯は同じだし、場所も街中なのは同じだ。
では一体何が違うのか。
それは、散歩に目的があるかどうかの違いではないだろうか。
 

タイムリミットがない

徒歩通勤のメインは通勤だ。
始業時刻までに会社に行かなくてはならない。
たとえ時間に十分に余裕があったとしても、道中でついつい何時ごろ会社に着くかを気にしてしまうものだ。
散歩をより楽しむには、時間を決めないことだ。
「20分歩こう」とか、決めなくていい。
そんなことをしたら義務感で歩くことになる。
散歩したくなって外に出たけど、5分ほどで帰ってきた。
そんなのでも構わないのだ。
それは単に、その5分で満足できたというだけのこと。
満足さえできれば、歩いた時間は関係ない
それが散歩というものだ。

目的地を決めない

通勤には、会社という目的地がある。
しかし散歩に目的地はない。
公園に行こうと決めてはいるが、公園に行く義務はないのだ。
気になる道があればそっちへ向かってもいいし、意味もなく遠回りしたって構わない。
しかし通勤となるとそうも行かない。
遠回りをすると遅れるかもしれないし、知らない道を進んでいると会社につけるか不安になる。
そういう引っ掛かりが、徒歩通勤と散歩に感じる清々しさの違いではないだろうか。
散歩はどこかを目指して歩くものではない
家を出て、家に帰って来ればそれでOKなのだ。

行き先に用事がない

では、徒歩通勤とは違って、目的地はあってもタイムリミットがない徒歩移動はどうだろうか。
例えば近所に買い物に行く場合。
これは、目的地はあるが、買い物自体は店の閉店時間までならいつでもいい。
しかし、これも目的が買い物になってしまう。
どこかに歩いて行く場合、それは散歩にはならない。
「ついでに歩いている」だけだ。
買い物と言う目的があるのに、ゆっくり歩いたり違う道で遠回りしていると、損をしている気分になるのだ。
それはそうだろう。
普通にサッと買い物を済ませて帰って来れば1時間で終わる外出を「散歩だから」と言って3時間もかければ、時間を無駄にしたように感じるのも当然だ。
だからこそ、散歩するときは散歩だけをするべきなのだ。
他の目的がなければ、いくら時間を使っても「充実した散歩ができた」という気持ちにしかならない。
そもそも、散歩をしていて時間を無駄にしているように感じることはないのだ。
なぜなら、そう感じそうになったら、散歩をやめて帰ってくるからである。
時間も目的地もない散歩なのだから、自然にそうなる。

終わりに

散歩に散歩以外の目的を与えると、そちらの目的がメインになってしまって、散歩で得られる効果が薄まってしまう。
散歩する理由を明確にして、歩くことが目的にならないように気をつけたい。
歩きたいのではなく散歩をしたいのだ。
散歩のメリットが得られないのであれば、無駄に歩かなくても電車や自転車を使って移動すればいい。