仕事だけでほとんどの時間を奪われる平日。
一方で、休日は予定がなければ丸々フリーに使える時間となる。
平日の間に「この週末は予定がないからあれをしよう、これをしよう」と考えていたはずなのだけれど、いざ休日になると、それらを特に何もできないまま無為な時間を過ごしてしまう。
恐らくよくある話だろう。
「時間の作り方」に関する話はあちこちで見かける。
有力者が「こうすれば時間を作れる!」と自らのノウハウを公開していて、あたかも時間さえ確保できれば物事を進められるかのように錯覚させられるけれど、実は時間の問題だけではないのである。
時間ができても気持ちができないと、結局は何もできない。
気持ちはどうやって作れば良いのだろうか。
時間を作るよりも難しい。
時間は、後のことを犠牲にするのなら徹夜でもすれば強引に生み出すことができる。
けれど、気持ちを強引に作ることはなかなか難しい。
勉強する時間を作るのと、勉強する気持ちを作るのとでは、どちらが難しいだろうか?
学生の頃、基本的に勉強はしなかったけれど、テストの成績によってお小遣いが決まる制度だったから、少しでもたくさんのお小遣いをもらうために勉強をしていた。
勉強のモチベーションはお金であって、自分の知識を高めるといった高尚な理由ではなかった。
むしろ、そういった理由だとどこかで「そんなことに意味はあるのか?」「別に賢くならなくたっていいんじゃないか」とすぐに甘い方向へ考えを向けて、勉強なんて放り出していただろう。
何かをやるにあたって、その時間が確保できたとして、まあそれがやりたいことだっなら自然に手をつけられるのだろうけれど、面倒な作業だったらついつい後回しにしてしまう。
なんなら、時間が作れるほどその傾向が強くなるのではないか。
「また別の機会に時間を作ってやればいいや」と理由を用意できてしまうからだ。
隙間時間の方が作業が捗るのもこれに近い要因かもしれない。
たとえやりたいことをしていたとしても、その作業が何かしら有益なものであれば、どこかで必ず面倒な作業が部分的に発生する。
最初から最後まで楽しい作業というのは、あまり何かが身につくものではない。
子供の頃は趣味で楽しいだけだったスポーツも、そのスポーツでプロになって仕事になれば、どこかで苦労は発生するのと同じである。
その苦労が目に見えている状態で、いかにそこに臨むための気持ちを作れるか。
この4月から会社を辞めて、自分で稼がなければいけなくなった。
時間はいくらでもあるけれど、やはり気持ちが作れない日も多い。
今までは時間の問題だったけれど、今は気持ちの問題にシフトしているようだ。