もちろん自分の話である。
元々何かを作るのが好きで、子供の頃は食玩の小さなフィギュアを改造したりして遊んでいた。
大人になってからはそういうことをしなくなった。
理由はまあ、仕事でそういう時間を十分に確保できない、というのは多分言い訳で、単純にそういう物理的な「実物」を自宅に所有していたくないというのも本音。
それと、今は10年ほど前と違って、素人的な人でもYouTubeなんかに動画をいろいろあげている。
その中にもちろんそういうフィギュア改造の動画もあって、やはりそれなりにレベルが高くて、どこかで「自分がやってもここまでできないだろうな……」という諦めのようなものが生じてしまう。
裏を返せば、子供の頃は今ほど個人の動画投稿が活発でなくてよかった。
きっと当時が今みたいな環境だったら、自分でフィギュアの改造なんかせずにそういう動画だけ見て満足してしまっていただろう。
そうなると、なかなか物質的な創作はモチベーションの維持が難しい。
高校生になってからは、趣味で小説を書くようになった。
そもそも小説を読むのにハマって、何冊も読んでいるうちに「こういう物語を自分でも書きたい」と思える作品に出会って、実際に書いたのがきっかけだ。
文章に関しては、その文章そのものがメディアである。
小説家が自分の執筆風景を動画にしてあげたりはしていない。
いや、もしかしたら動画をあげている作家もいるのかもしれないけれど、言っても机に向かって作品について考えるか、パソコンでひたすら文字を入力するかの作業だ。
イラストレーターの作業と違って、あまり見どころはないし、結局は出版される本を書いているだけなので、つまり冒頭で述べたような「自分にはこんなことできない……」というような気持ちは生じにくい。
だって、机に向かって考えたり、パソコンで文章を書いたりは誰でもできることだ。
というわけで、そういう文字だけで済む作業に対するモチベーションは保てている。
このブログにしてもそうだし、今でもたまに小説を書いては新人賞に応募するし、最近はプログラミングにもハマっているし。
どれも文章、プログラミングは文字の羅列で済む作業だ。
他に余計なことはしなくていい。
ブログは写真の掲載なんかもあるけれど、やはり心理的に「面倒臭い」と思っていて、このブログにも写真付きの記事が投稿される頻度は日に日に減っている。
この記事だって写真はないはずだ。
別にそれっぽいイラストを「いらすとや」から仕入れて使ってもいいけれど、そういう「誰でも使えるイラスト」をわざわざ使う意味があるのか、とも思う、というのは言い訳でやはり面倒だからだ。
小説はもう書くだけである。
イラストが描ける人は自分で挿絵を描いたりもするのかもしれないが、それはその人が好きでやっていること。
別にイラストの技能が小説に必須ではない。
というか、もしもイラストが描ける技術と小説を書ける技量があれば漫画を描きたくなりそうだが、どうなのだろう……
プログラミングに関しては文字列以外に介入する要素はない。
まあダイアログフォームのレイアウトなんかはあるけれど、別にそれは用意されたものを使うだけだし、その実態もコードという文字列なので結局は文字だけだ。
そしてやはり、そういうのを実際に作っている過程がコンテンツとして他者が楽しめるようなものではない、というのが強いだろう。
冒頭で述べたように、他の人が作っている場面を見ても「まあそういうものだよね」くらいの感覚であり「こんなすごいこと自分がどんなに頑張っても無理だ……」とはなりにくい。
そのあたり、今時の子供はどうやってモチベーションを保っているのだろう。
逆に子供なら「頑張ってこんな領域まで自分も到達したい」とモチベーションを得たりするのだろうか。
いや、本当にやりたいことなら大人でも子供でもモチベーションはあるか。
文字を書くだけで済む作業はモチベーションを保ちやすい?
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