というか、勉強する習慣を身につけておけばよかった。
大人になると、周りで勉強している人は少なくなる。
学校にいたから仕方なく勉強していたのだ。
ほとんどの人がそうだろう。
やらなくて良い環境になったら、わざわざやる人の方が少数派だと思われる。
けれど、それでも熱心に勉強を続けている人もいる。
そういう人を見ると、正直羨ましいと感じる。
何かに熱中しているわけで、その熱中が「動画を見る」とかではなく、自らの知識を増やす行為なのだ。
知識が増えれば当然やれることも増える、スキルが増える。
人としての価値を高められるということである。
子供の頃は、勉強という行為をそういうふうに捉えられなかった。
学校でやらされる面倒なことでしかなかった。
だから私は最短で就職できるような進路を選び、就職してから勉強という行為を全くしていない。
いや、冒頭で述べたように勉強している人への憧れがあったから、たまに気まぐれで何かしらを学ぶことはあったけれど、動機が動機だから長続きしない。
自分のために勉強したい、と思わないのだ。
客観的に「勉強している自分かっこいい」みたいな、そんな感覚で始めるから、どこかでしんどくなってやめてしまう。
逆に、勉強の価値をちゃんと理解して学生時代に取り組んでいれば、大人になってからも勉強をする習慣が身についたのかもしれない。
大人になっても勉強している人はそうなのだろうか?
しかし、いざ勉強しようと思っても、何を勉強すればいいのかわからない。
今になって、テーマを見つけて研究をするのも面白そうだ、なんて思ったりもする。
けれどテーマを探すのも、研究環境を整えるのも面倒だ、とも思ってしまう。
それは言い訳だろうか?
そこを乗り越えれば充実した生活が待っているだろうか。
幸いなことに、今後は時間が今までよりたくさん確保できそうである。
しかしその分、金銭面での心配事は多い。
どう転ぶかわからないけれど、ただ勉強するだけならお金はそれほどかからないか?
いや、金銭面であれこれ考えている時点で、それを言い訳にしているのかもしれない。
本気で学びたいと思える対象は、果たして見つかるだろうか。
それとも、そんな受け身になっていないで、色々と探した方が良いのだろうか。
しかしその探し方すらわからないのである……