マクドナルドでブログの下書きを書いていると、隣の席にいた子供(5歳くらい)が興味深そうにこちらを覗き込んできた。
大人だと気になったとしても堂々と覗き込んでくるようなことはないので、子供だからこその行動かもしれない。
そもそもそういった公共の場所で書いている時点で、人に見られる可能性は考慮しているから、別にそれが悪い行為だとは思わない。
とは言うものの、そこまで露骨に覗き込まれるようなシーンは想定外である。
相手は子供なのだから、別に構わないのだけれど、キーボードを打つ手が止まってしまった。
書いている文章を読まれるのが恥ずかしいと思ったのである。
果たして、5歳くらいの子供がどこまで内容を把握できるかわからないし、私が文章を書くのに使っている「IA Writer」というアプリはフォーカスモードという機能があって、今カーソルがある以外の段落や文章を薄く表示する機能がある。

ちなみに今の文字数を表示する機能もあるので「1記事800文字前後」と決めているからそちらも便利だ。
今どの程度の文字数になっているかを把握しながら、短くなりすぎず長くなりすぎない記事を書くことができる。
「IA Writer」の紹介は置いておいて、つまり見られてもそこまで問題ない状態であったにも関わらず、書いている文章を見られることが恥ずかしかったのである。
「いやいや、見られて恥ずかしい文章ならどうしてネットに公開しているんだ」という話になる。
けれどそれは平気なのである。
どうにも私は自分の姿とこのブログに書いている文章を結びつけられるのが嫌なようだ。
「へー、この人がこんな文章を書いているのか」と思われたくない。
自分が恥ずかしいとは思わないし、自分が書いている文章が恥ずかしいとも思っていないけれど、それを結びつけられると恥ずかしく感じてしまう。
不思議な話である。
誰が書いても文章の内容に変わりはないはずだし、どんな文章を書いてもその人の人格は変わらないはずだ。
私は知り合いにはこのブログのことを公開していない。
公開してしまったらきっと意識して書けなくなるだろう。
「もし見つけても、見つけたことを私に知らせないでほしい」とも伝えている。
幸いなことに、そういった話は伝わっていない。
もしかしたら見つかっているかもしれないし、そこから広げられているかもしれない。
けれどそれを私が知ることがないのなら、特に問題はないので、これからも「誰も知らないのだ」と思うようにする。
そうしないと継続できないからだ。
