占いの類は信じないけれど、神社で御神籤を引くことはある。
御神籤なら信用するというわけではない。
あれはコスパが良いからだ。
占いは数千円取られるが、御神籤は100円ほどで引ける。
紙に色々と文字が書かれているだけだけれど、あの文字はまあ100円の価値は十分にあるかと思う。
先日、御神籤を引いたら「火事、盗難に注意」という類のことが書かれていた。
今住んでいるアパートの環境を考えれば、火事も盗難もあっておかしくない。
もちろん「こんなのは誰にでも当てはまることを言っているだけだ」という意見もあるだろうし、それは私もそう思う。
ただ、重要視したいのはこの御神籤のおかげで「火事や盗難を意識するようになった」ということである。
「もしも火事が起きたら」「もしも泥棒が入ったら」と考えるきっかけをもらえた。
普通に生活していて、なかなかそういうことを考える機会はない。
その機会をもらえたという点に「100円を払う価値がある」と私は思っている。
数千円払う占いだと明らかにコスパが悪い。
それなら御神籤を10回引いた方が得られるものは大きいはずだ。
読んでいるだろうか?
意識しているだろうか?
大吉や小吉などの結果だけ覚えて括って帰っていないだろうか?
私は御神籤は必ず持って帰る。
そしてスキャンする。
なんだか罰当たりな行為にも思えなくもないけれど、それが御神籤の価値を高める行為だと思っているのでそうする。
スキャンすればデータに残るから、たまに見返すことができる。
「御神籤」フォルダに入れているから、新しい御神籤のスキャンデータを保存する際に、過去の御神籤を見返したりする。
もしもその場で括って帰ったり、持って帰ってもどこに置いたか忘れてしまっては、書いてあることを思い出せなくなる。
私にとって御神籤とは「運試し」ではなく、冒頭で述べたように「普段の日常では意識しないことを意識させてくれるもの」であるから、そうやってたまに見返して意識を再び持てることに価値があるのだ。
「神社に来たからなんとなく」で御神籤を引いて、その場で運勢に一喜一憂して、それで終わっているだろうか?
それは勿体無いことだと個人的に思う。
安い御神籤でも色々と文字が書いてある。
中には小難しい言い回しもある。
けれどせっかく引いた御神籤なのだから読んでみたらどうだろうか。
それで意識していなかったことを意識することができれば有益だったと言えるだろう。
その意識を持ち続けていたら、どこかで良いことがある(厳密には「損を避けられる」)かもしれない。
そこで初めて「御神籤を引いた価値」が生まれるように思う。
御神籤は新鮮な意識を持つためのものという認識
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