少し前、マクドナルドにガジェットポーチを丸ごと忘れて慌てた。
原因は、テーブル下の収納スペースにポーチを置いていたこと。
普段はMacBookでの作業が終わったら、ケーブルを外してその流れでポーチに収納し、そのポーチをリュックに入れるから忘れることがない。
けれどその日は、その作業を終えてからノートを広げて書き物をしていたのだ。
だからケーブル類は必要なく、筆記スペースを確保するためにポーチに片付けて、そのポーチをテーブル下に置いていた。
そうして帰る際に、テーブルの上のノート類を片付けて、そのまま帰ってしまったわけだ。
という出来事からの反省として、ポーチをテーブル下の収納スペースに置かないことにした。
テーブルの上に出したままにする。
こういう時のために、自立するポーチを愛用しているのだ!(2年以上も)
MacBookでの作業中は、ポーチをMacBookの奥に置くから邪魔にはならない。
筆記作業の際も、利き手とは反対側に縦向きに置いておけば邪魔にならない。
というか、どうして最初からそうしておかなかったのか……
それはもう、テーブル下に置いたまま忘れて帰ってしまうシチュエーションを想像できなかった私が悪いとしか言いようがない。
これが良い教訓になって、そういうところにまで気が回って、余計な損をしないような思考回路が構築されていればいいのだけれど。
少なくとも、こうして記事にしている時点でただ思っただけよりは意識に刻まれるだろうし、「そういう意識を常に持っておきたい」という意識そのものを持っている点も大きいだろう。
意外と、そこまで気が回っている人は少ないように思われる。
「自分は大丈夫だから」みたいな。
大丈夫な根拠なんてどこにもないのだけれど。
「自分だから不安だ……」くらいの感覚で常に過ごしている方が安全側だろう。
心配性になった方が良い。
そして、心配するだけでなく、その心配に対する対処を常に考えられるようにしたい。
著しい心配性の人を、そうじゃない人は「そんな大袈裟な……」と馬鹿にするだろう。
それでも、ちゃんと心配の対象に対する対策を講じて、何か起きた時に対処ができれば、そうやって馬鹿にしている人よりも有能であることが示されることだろう。