記事のタイトルは若干大袈裟な物言いをしている。
経緯を書こう。
今年の3月いっぱいで10年近く勤めた会社を辞めたのだけれど、有給を30日以上残したまま退職した。
有休消化をしていれば、1ヶ月の平日が20日くらいだから、1ヶ月半〜2ヶ月ほど休めたことになる。
もちろん「有給」なのでその間の給料が発生する。
辞める前に色々な人から「勿体無い」、「有給を使い切ってから辞めればいいのに」などと言われた。
そういった意見を聞くと妙にイライラしたことを覚えている。
今だって、思い出して少し怒りが湧く。
この感覚は難しい。
別にこちらだって有給が残っていることは理解していて、その上で3月いっぱいで辞めると言っているのだ。
今更とやかく言わないでくれよ。
というような感覚だろうか。
母親に「勉強しなさい」と言われて「わかってるよ!」と返す心理に似ている。
一方で「そんなに余ってるんだったら私が貰いたい」と言った人が1人だけいた。
「そんなのは図々しい」だなんて思わない。
最も建設的で良い意見だった。
これにはイライラしなかった。
「そうだよね」と笑えた。
「普通は有給を使い切ってから辞めるでしょう」というような押し付けが嫌だったのかもしれない。
こちらとしては会社を辞める、つまり有給という制度も含めて会社のシステムから離脱する身だったので、どうしても有給云々言う人が会社に縛られているように見えた。
というのが記事のタイトルにつながるところである。
しかし「私が貰いたい」というのはそういった押し付けではなく、ただの個人の感想であり願望に近い。
だから素直に受け入れられる。
「有給を使わないと勿体無い」は何だか余計なアドバイスをされているようで鬱陶しかったのだ。
繰り返すけれど、それくらいのことは考慮して、こちらは決断しているのだ。
似たようなところで「ちゃんとご飯食べた方がいいよ」というアドバイスもある。
食事カテゴリで色々と書いているけれど、時期によっては「大丈夫か?」となるような食生活の時もある。
そんな食生活の話をすると「ちゃんとご飯食べた方がいいよ」と言われる。
それくらいわかっていて、わかっていながら考えて決めているのだ。
そんなアドバイスは不要である。
心配するなら食事を奢ってくれるとかすればいいのに、それはしないのだ。
「ちゃんと食べて欲しいからご飯に行きましょう」と誘われれば、素直に受け入れるだろう。
別に奢りである必要はない。
そこまで言ってくれるのなら応えたい、という気持ちだ。
自分も同じように誰かから「余計なお世話だ」と思われていたりしないだろうか?
他人を中途半端に心配するような発言は控えたいものである。