学生の頃、どうやって勉強していたのだろう。
テストや試験のための一時的な記憶とはいえ、興味がないことをどうにか覚えることができていた。
いや、あれは「試験に合格しなければいけない」というプレッシャーがあったから成し得た技だったのだろうか。
今、生活上のために身につけたい知識があるのだけれど、なかなか身につかない。
本を読んだりするのだけれど頭に入らない。
心のどこかで「別にこの知識を身につけなくてもどうにかなるよね」と思ってしまっているからだろうか。
図書館で借りた本を読んでいるからかもしれない。
費用をかけていないから、得るものがなくても失うものもないのである。
自腹で参考書でも購入すれば変わるかもしれない。
けれどこのブログを始めるよりも前に資格試験(どうでもいい資格)を取ることにハマっていた時期があって、その際は自腹で参考書を買っていたのだが、内容によっては勉強が捗らず試験に受からなかったこともあった。
やはり興味があるかどうかが大きいか?
しかし学生の頃は興味のないことでもテストがあるから勉強して、そのテストでそれなりの点数を取れていた。
一時的に覚えるだけだったからだろうか。
それとも学生の頃に受けるテストと、大人になってから得る必要がある知識ではその量に差があるからだろうか。
それでも、机に向かって物事を覚えたり、問題を解くという作業をできていた。
思えばそれも10年以上前のことだ。
社会人になってから、そういった勉強はしていない(前述の資格試験にハマっていた頃を除いて)。
単に方法を忘れただけだろうか。
何事にも適切な方法があって、それは個人によって異なるものだ。
思えば、学生の頃に必要だったのは、目の前の教科書に載っている内容を覚えることよりも、そういった作業をどうすれば自分なりに実行できるかという手法を手に入れることだったのかもしれない。
それを「とりあえずテストで点を取ればOK」なんて気持ちで一夜漬けとかその場しのぎで乗り切ってしまうと、後からちゃんと勉強したい物事ができた時、どうやって勉強すればいいのかがわからなくなる。
小学校から含めて十数年も勉強してきたはずだけれど、思い起こされる記憶は軒並み一夜漬けだ。
学校や塾の「宿題」という強制的に行わされる作業でどうにか勉強をしていた。
今は「宿題」なんてない。
自分で課題を与えて、自分でそれを行わなければならない。
きっとこの「自分に課題を与える」という行為を学生時代に習得できなかったのだろう。
そういう人は多いのではないだろうか。
今は高校受験のために塾に通わせるのは当たり前なのだろうか。
塾で勉強させないと、自分で勉強しないからだろう。
しかし先のことを思えば、自分で自分に課題を与える方法を多少は身につけておいた方が、後から困らないと、現在絶賛困り中の私が偉そうに言ってみたりして、この記事はここまでだ。
勉強のやり方がわからなくなっていた
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