ビルドンブング

自由でシンプルな生活を求めて試行錯誤する記録を毎日更新中

自己分析をしよう

当ブログではアフィリエイト広告を利用しています

就職活動のために、自己分析的なことをするのだろうか?
多分、それは自己分析ではない。
ただのプロフィール埋めだ。
経歴や経験も、ただの事実に過ぎない。
もちろん、就職試験なんかではそれが武器になるから大いに結構。
言いたいのは、あれが自己分析だと誤解しない方が良い、という話だ。
自分が何をしたかではなく、何をすれば自分が動くのか。
それを考えることこそが自己分析なのだと、今の私は思える。
勉強しようと思っても、なかなか勉強できないものだ。
「どうして勉強できないのだろう」と考えることは間違っていない。
けれど、真に考えるべきは「どうすれば私は勉強するだろう」である。
一つ上の視点に立とう。
自分以外の他人に勉強させるにはどうすればいいだろう、という思考回路と同じように、自分に勉強させるにはどうすればいいだろうと考えるのだ。
すると考えられる範囲が広がる。
実際、視点を上に持っていっているのだから当然だ。
つまり、視野が広がる。
「朝起きる時間を早くして、勉強時間を確保しよう」と考えることは簡単だ。
けれど実行が難しいことは経験している人であれば理解できるはずだ。
ここで、視点を上に持っていけばどうなるだろう。
「どういう条件下なら、私は勉強のために早起きできるだろう」という考えに移行する。
考えるべきは手段ではなく条件だ。
自分を動かす条件。
例えば、私の実例だけれど、晩御飯を食べずに寝て、朝御飯を楽しみにすることをモチベーションにして早起きするとか。
アラームを布団から出て歩かないと止められない場所で鳴らすとか。
まあ、そんなところだ。
(今度はいかに二度寝を防ぐか、という問題が生じることになる可能性が高いけれど)
もちろん、勉強を始める条件も考えなければいけない。
お金を使うのが手っ取り早い。
早朝から営業している喫茶店に行くとか、馬鹿みたいに高い参考書を買うとか。
「お金を使ったのだから元を取らないともったいない」という心理を働かせる。
ここで自己分析だ。
「果たしてそれはモチベーションとして自分に通用するだろうか」という点を考慮しなければいけない。
こればかりは、他人のやり方をそのまま真似しても意味がないのだ。
(手法として知るという点では意味はある)
自己分析をして、自分が動く条件を明確にさえすれば、極論、なんでも実行できる。
私はその領域には到達できていないけれど。
到達したいな、という気持ちを持っていれば、前進はできると思っている。