まさかまさか、参考書を開いて最初から読んでいる人なんていないだろうな——
それは教科書の読み方だ。
わざわざ「参考書」という名前がついているのだから、他の本とは区別されるべきであり、読み方および使い方も異なる。
私の意見になるが、参考書の使い方は辞書の使い方に近いだろう。
何か勉強をしていて、わからないことがあったときに参考にするのだ。
だから「参考書」なのである。
というのが私の考えである。
そもそも参考書を読んだって何も頭に入らないのだ。
なぜなら初めは「勉強しよう」と思っていても、いつの間にか「参考書を読む」ということが目的になっているからである。
おそらく、参考書を読んでいる時点で何か勉強しているのだろう。
もしもそれが興味のある分野であれば、そうやって勉強しなくても勝手に身につくものである。
つまり、何か理由があって興味があるわけでもないことを勉強しなければいけない状況、というわけだ。
興味がないものが、すんなり頭に入るはずがない。
それでも何かしないと、と参考書を読むわけだが、結局それが目的になって読み終わったとしても何も頭に入っていないのだ。
もしも勉強が目的であれば、さっさと問題集に取り組んだ方が良い。
「多少の基礎知識がないと問題が解けないだろう!」って?
解けなくていいのだ。
本番のテストか何かで解けるようになるための勉強ではないのか?
解けなかったとき、解説を読むわけだが、いきなり問題に取り組んだりしていると、その解説すらちんぷんかんぷんだろう。
そんなときに参考書を開くのだ。
目次や索引から、その問題の解説に関係のありそうなところを探して、参考書と解説を右に左にと往復しながら理解を深めていくのである。
だから参考書はできるだけ情報量が多くて、その情報にアクセスしやすい索引機能が充実しているほど良い。
わかりやすさなど重要ではないのだ。
たとえわかりやすくても、結局読む側にその気がなければ頭に入らない。
それならわからなくても問題と格闘して、その後に解説を見て、その解説を参考書を見ながら解読した方が、達成感とともにそれが知識として定着するだろう。
「マンガでわかる〇〇」みたいな本がよくあるけれど、あんなのはただ読みやすいだけだ。
「マンガでわかる」じゃなくて「マンガで読める」にすべきだろう。
読んでいるときは何かを受け取るかもしれないけれど、簡単に受け取ったものはすぐに忘れてしまう。
読み終わって「やれるぞ!」と思って問題なんかを見ても、まるでわからないだろう。
参考書の使い方を知っているか?
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