ジョギングの話である。
最近は夜な夜な外を30分ほど走っている。
一時期は毎日、何なら朝晩2回走っていたような時期もあったけれど、ここ1、2年はほとんど歩いてばかりだった。
その理由はジムで運動していたからだ。
ランニングマシンの上を走るわけだが、あれは自分の匙加減で自由に早さを変えられるので「30分走るぞ!」というそこそこ意思がないと、途中で疲れて速度を落としてしまう。
そうやって行き着く先がただのウォーキングである。
まあ、普段外を歩いているよりは早足だし、ウォーキングでも30分していればそれなりに汗をかく。
だからそれで運動した気分にはなれたのだ。
実際、なっていたからろくすっぽ走っていなかった。
そんな私がまたジョギングを習慣化しようとしているわけだが、2日目でそれなりの筋肉痛に見舞われた。
先述の通り、ウォーキングはしていたので運動不足というわけではないと思っていたのだが、やはり走るのと歩くのとでは負荷が違うようだ。
久々にまともに30分間走り続けたが、充実感がウォーキングの比ではない。
そして筋肉痛というファクトもあるわけで、実際よい運動になっているわけだ。
ふくらはぎと股関節が筋肉痛である。
ふくらはぎは、やはり走る方が跳ねるような動きになるのでウォーキングでは負荷がかけにくい。
股関節は……、どうなのだろう。
ウォーキングでもそれなりに使っていたと思うけれど、動かすスピードの違いだろうか?
ところで、ジムだと少し疲れただけでウォーキングに切り替えてしまう、と何度か述べているが「外を走っていても自分で自由に速度を変えられるのでは? ウォーキングに切り替えられるのでは?」と思ったりしなかっただろうか。
理屈上はそうなのだが、どうもジャージを着て「走りますよ!」という格好をしているくせに歩いていると「あいつは走ろうとしたけど無理だったんだな」と交通人に思われるかもしれないだろう。
それが恥ずかしいから、速度を落とすことはあっても歩くことはないのだ。
ジャージを着てちょっと汗ばんだ人が歩いているのを見ただけで誰もそんなことは思わないかもしれない。
それはわかっているのだけれど、わかってしまうと外を走っていても歩くようになってしまう。
勘違いとわかっていても、その勘違いを許容して活用することができるのなら、別にそのままで良いと思う。
だから私は今日も「こんな格好で歩いていたら恥ずかしいな」というプライドで外を走るだろう。