「ネットサーフィン」という言葉はあまり使われなくなった。
TwitterやTikTokなど、自分が好きな発信者をフォローしておいて、流れてくる情報だけを見ていればいいような状態である。
だからこちらからわざわざ面白そうなものを探しにいかなくて良くなった。
つまりネットサーフィンなどしなくても良くなったのである。
今、ネットで何かを検索するときは調べ物をするときだ。
何か情報を知りたいときにネットを使って探すのである。
最近はそういう需要が理解されているのか、ニュースサイトなんかがよく話題になる。
娯楽はSNSに乗っ取られて、インターネットはニュース寄りになっているような印象を受ける。
しかしネットにはちゃんと情報がある。
最近、私は半分趣味でプログラミングをしている。
半分というのは、つまり好きで仕事で使うアプリを作っているからだ。
動機は趣味で目的は仕事といった具合である。
まあそれは今はいいとして、ネットでの調べ物についてだ。
もちろん私はプログラミング初心者なので、こういう処理をするにはどういうコードを書けばいいのか、ネットで調べる。
検索結果はたくさん出てくるのだけれど、参考になるサイトのほとんどが一昔前、1990〜2000年代くらいの個人サイトだったりする。
これは、よく考えれば当たり前である。
プログラミングの手法というのは普遍的なものであり、近年のPythonなんかはともかく、C++なんかはもうプログラミング言語としては重鎮なので、ノウハウはネットに公開され尽くしていると言って良い。
あとは私が広いネットの海からどうやってそれを探し出すかなのだが、そのときに邪魔になるのが最近のサイトだ。
おおよそ説明不足である。
プログラムそのものよりも、そのプログラムを作った経緯や今後の課題なんかに文字を割いて、肝心のプログラムはコードをペタッと貼り付けているだけで詳細な説明がなかったりするのだ。
しかしその記事を書いた人からすれば当たり前だろう。
細かいことはすでにネットに転がっているのだから「今更自分があれこれ説明しなくてもいいだろう」ということだ。
それでも何かしらの記事を書きたいので、本質から少し外れたところで自分の個性を出す。
ただの解説記事だと埋もれるからだ。
ある程度プログラミングのノウハウを得られていれば、別にそれでいいし「こういうのもあるのか」と楽しめるのかもしれないけれど、初心者の私としてはそういう記事は役に立たない上、検索の邪魔である。
まあ、難しいところだ。
役に立たないというならこのブログの方が何の役にも立っていない。
今日もこうして無駄な記事をネットに流し、誰かの検索を阻害しているかもしれないのだ。
しかし、多くの人がすでに世に出ている情報しか持ち合わせていないので、仕方がない。
どのみち、SNSを見てわかる通り今は発信過多の時代だ。
そういうものと受け止めて、ネットから欲しい情報を探すしかない。