ビルドンブング

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ブログで手を抜いてること

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「おいおいおい、このブログは手抜きなのか!」と、もしも私がこのブログのファンならそう言ってもう読むのをやめるだろう。
とはいえ手が抜かれていることはわざわざ宣言しなくてもちょっと過去の記事を遡ってみればわかることである。
まず文字に色をつけたり太字にしたりしなくなった。
初期は強調したい部分を赤文字にしていたのだけれど、最近はしていない。
そんなことしてもしなくても同じではないかと思ったからだ。
そう思った理由は面倒臭かったからだ。
と言いつつ、ブログは参考書じゃないんだから大事なところを強調とか、別に意味がないのでは、とも思ったのである。
強調されていようとされてなかろうと、読む人は読むし読まない人は読まない。
そういうものだと思う。
実際、文字の強調をやめたことでアクセス数は減ったりしていない。
例え煩雑でわかりにくい文章だったとしても、何かを求めてネット検索からやってきた人はここに求めていたものが書かれているかもしれないと熱心に読んでくれるし、何となく開いただけの人は何となく文字を流してすぐブラウザバックする。
どうしてわかるのかというと、私が他の人のブログを見る時がだいたいそんな感じだからだ。
ピンポイントで何か情報を求めているときは、それっぽい記事をじっくり読むし、何となく浅く探っているときは記事内で文字が強調されていようとされてなかろうと流し読みである。
なので文字の強調もうしないと思う。
多分、多くの人にはやらない言い訳にしか聞こえないと思うけれど。
しかし本当に面倒くさくてやめてしまったのは写真・画像である。
このブログを開設した当初は1つの記事に最低でも1枚の写真か画像を入れようとしていた。
しかし毎日更新を続けているとそれが難しい日もたくさん出てくる。
「この記事にいったいどんな画像をつければいいんだ」と。
今ならいらすとやから適当にそれっぽい画像を引っ張ってきてつけてもいいのだが、個人的にいらすとやの画像ならあってもなくても同じだと思う。
 
どうせいらすとやの画像を見た時点で「ああ、この記事にはロクな画像がないんだな」と思われてしまう、何ならマイナスイメージになるまで考えられる。
これもまた、私がそうだからである。
いらすとやの画像がサムネになっているような記事は基本開かない。
それなら画像なしの文字だけの記事の方がよほど信用できる、気がする。
私だけだろうか?
いらすとやの画像が使いやすすぎて、そして使っている人が多すぎて、何だか手抜きだったり薄くて浅い記事だったりであるような印象を持ってしまうのだ。
まあ、それを言い訳にして画像を使わないのもまた手に気ではあるのだけれど。
うーん……
何だか手を抜いている言い訳みたいな記事になってしまったけれど、しかしこれくらい緩くやってるからこそ3年以上も毎日更新が続けられているのだと思う。
何なら隙があればもっと手を抜いてやりたいくらいだ。
というこの記事だって、強調も画像も一切ない手抜き記事なのである。