ビルドンブング

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大人への文句で盛り上がれるのは子供だから?

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とある日のマクドナルドで、大学生らしき二人組の客が先生に対する文句で盛り上がっていた。
そういうトークには覚えがある。
私も学生の頃は先生に対する文句がトークテーマになることはまあまああったし、そこそこ盛り上がれた。
さて、今はどうだろうか。
もちろんもう学生なので、先生という立場の人と関わることはない。
周囲にいる大人というと、会社の人くらいである。
ではそういう会社にいる年配の面倒臭い人に対する文句や愚痴で同年代の同僚と盛り上がったりするかというと、そういうことはない。
別に面倒臭い人がいないわけではない。
なんならそこそこの人数いる。
しかしわざわざそんな人への文句などを言い合ったりはしないのだ。
面倒臭い人でも同じ会社の人だから、身内の悪口は言いたくない、という心理だろうか。
しかしそれなら学校の先生も同じである。
中学までの義務教育ならともかく、そこから先は自分で選んだ、あるいは自分の実力で入った高校や大学である。
もしもそこにいる先生が面倒臭い人だったとしても、そういう人がいるような学校に入ったのは本人の意思や実力によるものだ。
それに対する文句を言ったところで、結局は「そんな学校に行ってるのがあなたでしょう?」と言われればそこまでである。
必ずとは言わないけれど、良い学校には良い先生がいる、可能性が高い。
学校のレベルとそこにいる先生のレベルは比例する、と思っている。
だからそこに文句を言うのは、そこに属している自分の価値を貶める行為ではないだろうか。
ということを理解できていないから文句が言えるのかな、と思う次第だ。
自分の立場を客観的に見ることができていない。
そういうところは所詮はまだ学生だな、と思ってしまうわけだ。
面倒臭い人はどこにでもいるけれど、大人になればその人の立場も多少はわかるようになるし、そういう視点で人を見ることができるようになる。
今思い返してみると、学校の先生も色々と大変だっただろうな、と思える。
子供の頃は、そんな相手の立場と役目にまで気が回らなかったのだ。
子供の頃は「なんだこいつ」と思っていた先生でも、今思い出して、その怒りのようなものは湧いてこない。
あの先生もあの先生で大変だったんだろうな、と同情する。
まあ当時の先生と同じくらいの年代になったわけだから、それくらい思えるようになるだろう。