ビルドンブング

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席替えは一番前の席を希望していた

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小学生の頃、学生の間はずっと配布プリントは前の席に配られて、それを順に後ろに回していく方式だった。
席替えの時、皆は前の席を嫌がったけれど、私は一番前の席が好きだった。
特に一番後ろの席は最悪で、もしも配布プリントに過不足があれば、後ろの席で処理をしなければならない。
つまり「余りました」とか「足りません」と声を上げなければならないのだ。
そうやって周りに聞こえるくらいの声を上げるのが苦手な子供だったのである。
その性格は大人になっても健在で、声を上げれないことはないけれど、その行為のハードルは高く、普段から声は小さめ、人と会話している時は、その会話が周囲に聞こえるか聞こえないかくらいのギリギリの声量で話す。

そうそう、じゃあ一番後ろの席でなければ先頭でなくてもいいと思われるかもしれないが、単純に前の人からプリントを受け取るのも苦手だったのだ。
プリントを掴もうとした手が空振りするのが怖い。
今思えばそんなことあるわけがないのだけれど、きっと小学生の頃に前の子のいたずらか何かでそういう経験をしたのだろう。
それがトラウマになって、プリントをちゃんと掴めるかどうか緊張してしまっていたのだ。

それに、一番後ろでなくても、それに近いと「あ、プリント足りないな」とか「余るな」とわかってしまう。
それをわかっていながら何もせず気づいていないふりをして後ろに回すのも良い行いではないだろう。
少なくとも一番前の席だと、過不足が認識できるほどの配布数間違いが発生することはないから安心である。

中学生くらいから視力が悪くなった。
ゲームのしすぎである。
けれど合法的に一番前の席に行けるようになった。
「目が悪いから前の席がいい人いますか」という先生の質問に手を挙げるだけである。
他の人はやはり前の席は避けたいようで、視力が悪くてもメガネやコンタクトでフォローしていた。
私は一番前の席に行くから、視力は悪いけれど授業中にメガネをかけなくても黒板は見えた。
個人的にメガネの類は着脱が面倒だし、メガネなら荷物が増えるしで苦手だったから、つけなくていいのはありがたい。
今も視力は悪いままだけれど、近くのモニタは見えるから常に裸眼で生活している。
健康診断などで視力検査がある時や、映画を見に行く時くらいだろうか。
それと運転中は装着必須である。
ああ、このメガネトークは別で記事になりそうなネタだからこれくらいにしておこう。

さて、席替えが存在する環境で過ごしているような人がこの記事を読むことはあるだろうか。
個人的には一番前の席はオススメだ。
特に考えずになんとなく避けているなら、一度考えてみてほしい。
きっとメリットは色々ある。