ビルドンブング

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夜ジョギングできない理由を考えてみる

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朝ごはんを食べた直後に走る習慣は続いている。
朝ごはんからジョギングまでの流れが出来上がったからか、不思議と面倒に思わない。

 面倒に感じるのは夜のジョギングの方だ。
朝のうちにご飯を炊いているから、夜は帰宅してすぐに食べることができる。
すると食べてからジョギングするまでの朝と同じ流れを踏襲すれば簡単にジョギングの習慣ができそうなのだけれど、不思議と夜はジョギングが面倒で仕方がない。

けれど、それは私がジョギングする理由を考えれば、面倒に感じるのは当たり前のことだ。
私は体を動かして運動することを主たる目的としてジョギングをしているわけではない。
食後の血糖値上昇による倦怠感や眠気への対策としてジョギングをしているのだ。

さて、夜にジョギングをしたとして、その「倦怠感」や「眠気」を払うことに意味はあるだろうか?
もちろん、夜の時間も有意義に使うのであれば必要である。
けれど平日の夜ともなると、残業していればそんなに何かができる時間があるわけではない。
最低限のやることをやったらさっさと寝てしまいたいところだ。
もう寝てしまうつもりなのに「倦怠感」や「眠気」を払うための行為をわざわざしようと思うだろうか。
それが簡単かつ心理的ハードルの低い行動ならやってもいいだろう。
けれどジョギングとなれば着替えて外に出て、30分ほどを費やすことになる。
体は疲れるし、今の季節は寒さも厳しい。

頭の中でジョギングのしんどさと得られる効果を天秤にかけて、無意識に「今の時間に走ってもなぁ……」と意味のなさを面倒さに置き換えて感じてしまっているのだろう。

だから朝はしっかりとジョギングができているのである。
なぜなら朝の場合はジョギングするべきだという方向に天秤が傾くからである。
朝のジョギングをすれば昼までの作業効率が上がることを知っているし、その日の気分も良くなる事をすでに体が覚えている。
なので面倒を感じずにジョギングをすることができているのだ。

運動は面倒なことであり、その目的を明確にしつつ、その目的が面倒さに打ち勝つくらいのものでなければ、なかなかモチベーションが上がらないということか。
これはジョギングないしは運動以外にも適用できそうである。
何か物事を面倒に感じる時は、無意識にその行為によって得られるものと手間を天秤にかけているのかもしれない。
それを意識してみれば、目的の見直しや考え方の再構築によって、やりたいことを面倒に感じずにできるようになるかもしれない。