ビルドンブング

自由でシンプルな生活を求めて試行錯誤する記録を毎日更新中

SFをラノベの様式に落とし込んだ「涼宮ハルヒの憂鬱」の偉大さよ

当ブログではアフィリエイト広告を利用しています

今週のお題「SFといえば」

最近「涼宮ハルヒの憂鬱」の原作を読み返したり、アニメを見返したりしていたタイミングでこのテーマがきたものだから、もう他に思い浮かばなかった。
読んだこと、見たことはないが、タイトルは知っているという人も多いと思う。
タイトルしか知らない人からすると、どうしてSFでこの作品が語られるのか、不思議に思うだろう。
私も、この作品がSFだと気づいたのは、最近になって読み返してからだ。
当時は、ただの萌えアニメとしてハマって、そのまま原作を読んだので、そういう意識はなかったのだが、久々に読んでみると、これがよくできたSFなのだ。

思わず付箋を貼ってしまうくらいに興味深い……
 

SF的キャラと設定のごちゃ混ぜ

「涼宮ハルヒの憂鬱」の主要登場人物は、主人公を除いて特殊な人たちだ。
宇宙人、未来人、超能力者である。
この3つの別々の派閥が、涼宮ハルヒの特殊な能力に目をつけているという構図である。
1つの作品内に宇宙人、未来人、超能力者というジャンルは一緒だが要素は異なる存在を詰め込んだ作品は、当時は珍しかったと思う。
いや、SFでは珍しくはなかったかもしれない。
だが、それをライトノベルとしてやったのは、そして話題になったのは、これが最初ではなかろうか。
今でこそ異なる属性や要素を持ったキャラクターを混ぜて化学反応的展開を広げる作品は多々あるが、「涼宮ハルヒの憂鬱」がその走りとなったのは確実だろう。

やっていることは単純

そんな「涼宮ハルヒの憂鬱」の話の流れは至って単純である。
  1. 宇宙人や未来人、超能力者に憧れるハルヒは、それらを探すための部活を作る
  2. その部員として集められた人たちが主人公に、実は自分は宇宙人なのだ、未来人なのだ、超能力者なのだ、と明かす
  3. 主人公はそれを信じていなかったが、信じざるを得ない事件やイベントに遭遇する
  4. 完全に信じたところで、それら特殊な存在がハルヒの持つ特殊な力に各々の理由で興味を持っていることを主人公は知る
  5. ハルヒ本人は自分の力を知らず、集めた部員が普通の人間ではないことも知らず、平凡な世界に絶望して世界を作り替えようとする
  6. 主人公は、ハルヒに対して平凡な現実も捨てたもんじゃないと、自分の経験を通して訴え、ハルヒを思い止まらせる
(シリーズではなく「憂鬱」単体の流れである)
 
実際に原作を読んでみるとわかるが、かなりシンプルな構成なのだ。
ハルヒと出会って、それをきっかけに知り合った人から変な告白をされて、それが事実だと判明して、何も知らずに絶望したハルヒを止める。
久々に読み返して「え、これだけ?」と思ったものだ。

ライトノベルにした偉大さ

では、こんな単純な話の何が人気になったのかというと、それをライトノベルというジャンルに落とし込んだからではないかと、私は思っている。
平凡な男子主人公が訳ありの可愛い女の子と出会うというライトノベルのお決まり展開を守りつつ、そこに絶妙にSF要素を盛り込んでいる。
そのSFにしても、特に凝った設定ではない。
宇宙人、未来人、超能力者と、それぞれがSFとしては使い古された要素である。
それらの存在を涼宮ハルヒというヒロインに関連づけて、しかし厄介ごとは主人公が引き受けて、当のハルヒは何も知らない。
このラノベ的普通の高校生活とSF的非日常性に挟まれた主人公の立ち位置が、ライトノベルのメインターゲットにうまく刺さったのだと思う。
私も刺さった一人だ。

終わりに

まあ、別に小難しく考える必要はない。
ライトノベルというだけあって「涼宮ハルヒの憂鬱」は手軽に読めるだろう。
少しでも気になったら読んでみるといい。
まったく、すっかりオシャレな表紙になっちゃってからに……