「速読」が流行ったことがあって、テレビでも速読術が取り上げられていたりした時期がある。
もう10年以上前か、下手したら20年ほど前かもしれない。
確かに本を読むのが速ければ、1冊読むのにかかる時間は減るし、同じ時間でもより多く読むことができる。
一方で、内容に対する理解が薄くなるのではないかという懸念もある。
確か当時のテレビで見た記憶では、ページ全体を右上から左下に向かって斜めに読むような手法だっただろうか。
他にも速読術には色々な方法があるのかもしれない。
私は普段から比較的本をよく読む方だとは思うけれど、速読を意識していない。
だから自分が活字を読む速度がどの程度なのか不明だし、内容をどの程度理解できているかも怪しい。
速く読むことを意識しすぎて内容が頭に入らないのも問題だけれど、かといって必要以上にゆっくり読んでも時間がかかるし疲れる。
自然体で読んでいるわけだ。
「速読」の話題になると、どれくらいの時間でどれくらい読めるかが主題になるけれど、それ以外で読む速さが話題になることはほとんどない。
例えば「趣味は読書です」と言う人は多いけれど、その流れで「そうなんですね。1時間で何文字くらい読めるんですか?」なんて話題に持って行くことはないだろう。
「どんなジャンルの本を読まれるのですか?」が妥当なところである。
だから、その人が速読を自慢にしているとかでなければ、人が活字を読む速さを知ることはないのだ。
だから自分が活字を読む速さもどの程度なのかわからない。
自分では速いとも遅いとも思っていない。
というか、読む速さを意識する場面が稀だ。
図書館で借りた本の返却期限が迫った時くらいだろうか。(それでも必死に読もうとするならまだ健全である)
さて、先日、たまたま同じ本を読んでいる人と話す機会があって、内容というか文体が独特な本なのだけれど、それ故になかなか読み進められないと言っていた。
私は割とスムーズに読んでいる。
もしかしたら、私は平均よりも読むのが速いのかもしれない。
というのがこの記事を書こうと思ったきっかけである。
もしも私が活字を読むのが速いのだとすれば、きっと学生時代に図書館で借りた本を1日に5冊とか読んでいた時期の成果だろう。
あの頃はただただたくさん読みたくて、そのために速く読みたいと思っていたようにも思う。
一方で、単に私が内容を深く理解しないままザクザクと読み進めているのかもしれない。
確かに内容は難しいのだけれど、理解しようとしてゆっくり読んでも理解できないのだ。
ゆっくり読んだところで、理解のレベルがかけた時間に対して上がるように思えない。
だったら普段通り、苦にならない自然体で読んで、わからなければもう一度、それでもわからなければ何度でも読み返せば良いという判断だ。
冒頭の、読む速さと内容の理解度で言うならば、別に理解度が半分になっても読むのにかかる時間も半分になっていれば同じと考えられないだろうか。
つまり速読で2回読んで、普通に1回読むのと同じ時間と理解度が得られるのであれば、好きなように読めば良い。
そう考えると、特に意識しないで自然体で読むのがストレスもなく、気分転換に読書もできるというものである。
まあ、ビジネス書とか自己啓発本なんかだと話は変わってくるかもしれない。
それこそ、斜め読みで自分に刺さりそうなところだけ拾うように読んで時間短縮する手もあると思われる。
結局のところ、あまり深く考えなくても良さそうということだ。