前回の記事でまだ活字に関してネタが出てきたので、引き続きだ。
別に話は続いていないので、前回の記事を読む必要はない。
今回は、そもそも活字とは、という話である。
パッと思い浮かぶのは新聞とか紙の本である。
スマホでネットの記事やSNSを読んでいる様子を「活字を読んでいる」とは表現し難いところである。
とすると電子書籍はどうだろうか。
内容は紙の本と同じだけれど……
タイトルにもした通り、現代人は活字を読むのが苦手なイメージがある。
偏見だろうか。
先に書いた通りネット系の文字は活字に含まれないという印象があるから、紙の文字を読まずにスマホばかり見ている現代人にそう感じるのかもしれない。
ついついネットやSNSを見てしまう気持ちはわかる。
何よりインスタントだ。
新聞にしても本にしても、読み始めたら読み終わるまでそれなりに時間がかかる。
慣れていない人だと「読み切れなさそう」と最初から諦めてしまいそうだ。
今でこそ電子書籍だけれど、紙の本にしても辞書みたいに分厚いと、タイトルやあらすじが面白そうでも気が引けてしまうだろう。
ネットやSNSにそんな膨大な文章量のものはほとんどない。
少なくとも日常的に流れてくるようなものはサクッと読める。
だから隙間時間に読んでしまう。
それが癖になって、隙間時間でもないのに読んでしまう。
そうしてスマホ依存まっしぐら、という様相だろうか。
今は本を買うなら電子書籍だけれど、どれくらいで読み終わるのかの目処がつかない。
アプリの下部に進捗がわかるスライダーが表示されたり、Kindleだと推定読了時間が表示されたりするものの、あまり当てにしていない。
そもそもどれくらいで読み終わるかなんて気にしていない。
それこそ、前回の記事で述べたように自然体で読んでいるし、読みたくて買ったのだから、時間がかかっても構わない。
端末があればどこでも読める電子書籍である。
それこそ隙間時間なんかも活用すれば、実際の紙の本で手元に置いているより読むハードルは低いだろう。
一方で、紙の本はすぐにどれくらいで読み終わりそうか目処がつく。
文庫本だと1時間で100ページだから、と後ろからそうページを確認して、じゃあ3時間かからないなとか。
けれどどれだけ薄い本でも出版されているからにはそれなりのページ数があるので、文字数で敬遠してしまう人はやはりネット・SNSに流れて行くのだと思う。
活字離れというやつか。
けれど、電子書籍の件も含めてそもそも活字の定義も曖昧である。
活字しかなかった頃を長く生きた人たちが勝手に言っているだけかもしれない。
別に文字を読まなくなっている、読めなくなっているわけではないのだ。
(理解力については少し怪しいところはあるけれど)
「現代人の活字離れ」と言われても、「ああ、活字を懐かしんでいるのだな」と流しておこう。
たとえ自分が現代人にしては活字を読んでいる自覚があって、ちょっとムッとしたとしても、別に活字に近づいていようが離れていようが、誇れることも蔑まれることもないだろう。