どちらかというと音楽ではなくラジオを聴きながら歩くことが多かったけれど、今はそれもほとんどしていない。
外を歩く際や電車に乗っているときは耳に何もつけていない。
聴こえているのはその場の音である。
当時は「移動時間なんて暇なんだから何か聴いていないともったいない」という気持ちが強かった。
例えば電車でスマホゲームをしている人がいるけれど、それならイヤホンをしているのはわかる。
どちらも娯楽だからだ。
ゲームに夢中になっていようと音楽に夢中になっていようと、その時間が娯楽に消費されていることに違いなく、どちらかをやめたところで何も変わらないと推察されるからである。
一方、ただただ音楽あるいはラジオなど意識を向けるものを聴いているだけの場合。
これは勿体無いと感じてしまう。
というか、勿体無いと感じられるようになった。
電車でも徒歩でも、音楽を聴いていると本当に音楽を聴いているだけになる。
私は常にメモ帳を持ち歩いている。
しかし音楽を聴きながら歩いていて何かを思いついてメモしたことは皆無に近いと思う。
思い出そうとしても思い出せない。
一方、何も聴かずに歩いていると、それなりにメモが溜まる。
他に意識を向ける対象がないから、頭の中であれこれ考えてしまうのだ。
そして、そうやってあれこれ考える時間はそれなりに必要だと思っている。
それにそうやってあれこれ考えて過ごす時間の充実加減を知ってしまうと、ただただ音楽を聴いただけで過ごしてしまった時間がとても無意なものに感じてしまうからだ。
最近は、実家に帰る際にイヤホンを持って行かないようにしている。
電車で片道2時間ほどなのだが、メモ帳を片手にぼんやりしている。
何かを思いつくこともあれば、何も思いつかないこともある。
断言できるのは、音楽を聴いたりラジオを聴いたり、動画を見たりネットサーフィンをしていたら何も思いつかないということだ。
それに、そういった娯楽に溺れる行為は実家に帰ってからいくらでもできる。
基本的に実家では特にやることがなく暇なんだから……
電車であれ徒歩であれ、移動中というのは不思議と考え事が捗るものである。
それを知っていれば、その時間を娯楽やコンテンツの消費に使うのが勿体無いと感じる心理も少しくらいはわかってもらえるのではないかと思う。
電車に乗っている客を見回してみるとみんなイヤホンで何かを聞いているけれど。
もしかしたら聴いているのは環境音で、頭の中では瞑想か考え事をしているという可能性もあるのだけれど……