ビルドンブング

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ラジオを聞かなくなって楽になったこと

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3年ほど前からラジオを聴くようになって、気づけばそれが一番の趣味になっていて……
そんなラジオだが、最近はほとんど聴いていない。
ずっと聴いていたから、それが義務のようになっていたのだ。
家事をするにも外を歩くにも、ラジオを聴きながらでないともったいない、そんな考えに、いつの間にか支配されていた。
しかし先日、ふと何も聴かずに散歩してみたら、それが気持ちいいではないか。
というわけで、ラジオをあえて聴かずに1ヶ月ほど過ごしてみたので、感じたことをまとめておこう。
 

義務感からの解放

冒頭でも軽く述べたが、これが1番の感動だった。
もったいないと思っていた無音の時間が、気持ち良く感じる。
窮屈だった世界が解放されたような感覚。
実際、耳を塞いでいたイヤホンを外して歩いたりすると、清々しく感じるというのもある。
しかし、そういった肌感覚以上に、気持ちの解放感が凄まじい。
趣味で始めたものが、いつの間にか義務になっていることは珍しくない。
ラジオを聴くのが楽しくなかったわけではないが、聴かなくなってみると、少し心を窮屈にしていたのだな、と感じた。

本当に好きな番組が見つかる

開放感に心を動かされつつも、ふとした拍子にラジオを聴きたいという欲求が湧く。
しかし、漠然と「ラジオが聴きたい」ではなく「あの番組が聴きたい」と考えるのだ。
今までは、そこまで好きではないが、今まで聴いてきたからこれからも、という理由だけで聴いているような番組もあった。
例えばTBSラジオの平日25時からのJUNKだが、JUNKは全部聴かなくては、という何の根拠もない義務感で月曜日〜金曜日まで聴いていたのだ。
しかし、1ヶ月のラジオ断ちの中で、聴きたい、と心から思ったのは、月曜日の「伊集院光・深夜の馬鹿力」だけだった。
ということは、それだけ聴ければ満足なのだ。
こういった具合で、今まで漠然と聴いていたラジオ番組の選別が行えた。
これからは義務でなく、好きでラジオ番組を選べそうだ。

考え事に時間を使える

これまで、頭を使う作業をしていないときは無条件でラジオを聴いていた。
しかし、それは頭を使う機会を損失させていたのかもしれない。
頭を使う作業をしていなくても、頭は勝手に考えるものだ。
しかし、そこでラジオを聴いていると、ラジオを聴くことに頭を使ってしまう。
もともと、ラジオを聴かなくていいのでは、と思ったのは、考え事をしながら散歩したのがきっかけだ。
つまり、今まではラジオを聴くことに使っていた頭が、ラジオを聴かなくなることで、他のことに使える可能性があるということ。
これまでは何も聴かずに歩く行為をもったいないと感じていたが、今は違う。
しっかりと頭に考える余裕を与えた状態で歩くことで、何かアイデアなどが閃く可能性が高まるのだ。
それがわかれば、もうラジオを聴けるのに聴かないでいる時間をもったいないとは、思わない。

終わりに

実はあれもこれもとラジオを聴いていたせいで、1ヶ月以上前のラジオを追いかけているような状態だった。
(ラジオを専用のソフトで録音しているので、radikoのタイムフリー期限が過ぎても関係ない)
しかし、本文でも述べたように、本当に聴きたいラジオが明確になった。
それに、ラジオを聴くべきタイミングについてもしっかりと考えようと気づいた。
これからは、好きな番組を聴くべき時に聴くというスタイルになりそうだ。
この結果が得られただけで、ラジオ断ちをしてみた甲斐があったというものだろう。