ビルドンブング

自由でシンプルな生活を求めて試行錯誤する記録を毎日更新中

ルーチンが障害になるなら省略してもいい

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先日の話。
その日は飲み会があって、帰るのが遅くなった。
もう疲れていて、結局その日は床で寝てしまった。
(午前3時に目が覚めてシャワーを浴びたけれど、結局その夜の睡眠はグダグダだ)
本当は、ちゃんとシャワーを浴びて布団で寝た方が疲れも取れるしぐっすり眠れて気持ちが良いことはわかっている。
わかっているのだけれど、それができなかったのだ。
疲れていたというのもあるけれど、原因を探ってみると、どうもそれだけではなと思われる。
「もしかしてこれが原因では?」と思えるものを見つけた。
私はいつもシャワーを浴びる前に歯磨きをしている。
それが生活ルーチンだからだ。
だから「シャワーの前に歯を磨く」というのが頭に染み付いている。
つまり、その日も疲れてシャワーを浴びて寝たいと思っていながらも、頭の中ではちゃんと「その前に歯磨きをしないと」と思っていたわけだ。
するとどうなるかというと、ただでさえシャワーを浴びるのも面倒に感じているのに、そこに上乗せして歯磨きというタスクまで載っかってくるのである。
そりゃあもう面倒で面倒で、床で寝てしまうだろう。
例えば、もしもその時に「もう今日は歯磨きしなくていいや。このままシャワーを浴びて寝ちゃおう」と思えていたらどうだっただろう。
ここからは推測の話である。
やらなきゃいけないと思っていた歯磨きというタスクが急に消えて、多少の解放感を覚えるのではないか。
そして、その解放感がモチベーションとなってシャワーを浴びれたのではないかと、そう思うのだ。
再度断っておくけれど、推測である。
いざまた似たような場面になって「歯磨きはしなくていいや」と思ったとしても、結局シャワーも面倒で床で寝るかもしれない。
けれど、ルーチン通りに動かないとと思い過ぎるあまり、結局何もできないのなら、そのルーチンは省略しても良い、つまりこの記事のタイトルのような考えを常に持っておくことは有意義ではないかと思う。
ルーチンを決めてそれ通りに動くことは、生活習慣を維持して自分のための時間を確保するのには重要だ。
しかし時にそれが障害となる場面があるのであれば、その時はこだわりを捨ててフレキシブルに動けた方が効率的である。
元々は効率化のためにルーチンを組んでいるのだ。
もしもそれが効率化という本来の目的を阻害するようなら、潔く捨てるべきである。
そう、本来の目的をいつしか見失い、ルーチン通りに動くことが目的になっていたのだ。
それがわかったのなら、久々に飲み会でアルコールを飲んだ価値もあったかな、と思う。