ビルドンブング

自由でシンプルな生活を求めて試行錯誤する記録を毎日更新中

「あの時ああしてたら今のこれはなかったな」と思えるもののだいたいが恋愛絡みである

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まさか恋愛の話をこのブログでする時が来るとはな。
まあ、タイトルの通りである。
あの時とか、ああしてたらとか、これはとか、代名詞が多いけれど、実際曖昧な話なのだから仕方がない。
さて、恋愛云々は置いておいて、「あの時ああしてたら今はこうじゃなかっただろうな」と思える過去は誰でも一定数持っていることと思う。
私の場合、その中でも大きな分岐点になったなと評価できるものは、たいてい恋愛絡みのものなのだ。
例えば、昨年の1年間で持ち株からの配当として入って来た金額は80万円を超えていた。
額面だけ見るとそこそこだけれど、別に何年もコツコツとそれなりの配当の株を買い増していたら難しくない金額だ。
なんなら、ちょっと安定寄りの銘柄を買っていても達成できるラインである。
しかし日本人が投資をしている割合は20%以下である。
未だに多くの人が株式投資に対してギャンブルのようなイメージを抱いているようだ。(少しずつ変わっているようだけれど)
独り身だと、収入から最低限の生活費を引いて、残りを全額投資に回すことができる。
結婚していたらそれは難しいし、結婚していなくても付き合っている相手がそれを知ったら、不安に思うだろう。
思うだけならまだよくて、やめるように言われるかもしれないし、そこでやめなければ別れ話になるかもしれない。
もしもあの人と付き合っていたら、今みたいに投資はできなかっただろうなと、まあそんな話だ。
このブログにしてもそうである。
今でこそ1記事20分程度でサーっと書けているけれど、最初の1、2年くらいは2時間ほどかけてようやく1つの記事が書ける、というような状態だった。
もしも横から誰かに「そんなに面倒ならやめれば?」と言われれば「まあ君がそう言うならやめようかな」とやめてしまっていただろう。
だって、そうすればやめる理由をその相手に押し付けることができるから。
今、私の横にそんなことを言う人はいない。
そもそも横に誰もいない。
だから自分を甘やかす以外にやめる理由がなかった。
甘やかさなかったから、今も続いている。
ブログに書ける手間暇は軽減されて、楽になっているけれど、それでも私にとってはノルマのような扱いで、やはり誰かに「やめていいと思うよ」と言われたら乗ってしまうかもしれない。
結局、あまり恋愛の話にはならなかったけれど、面倒臭いけれど価値のあることをしている時、それをやめさせようとしてくる、あるいはやめてもいい理由を与えてくるのは、たいてい恋人か、それに値する人物のように思える。
偏見だろうか?