ビルドンブング

自由でシンプルな生活を求めて試行錯誤する記録を毎日更新中

メモをその場で捨てて帰る

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ひたすら紙に書いて考え事をする。

 そういうことをしていると、呪詛の言葉を書き連ねたような紙(実際、側から見たら何か仏教的な、写経的な紙に見える)が何枚も生まれる。
その紙をどうするか。
とりあえず束ねてどこかに積んでおく?
ファイリングして綺麗に保管する?
邪魔になるからスキャンしてデータ化する?
いやいや、置いておく必要がない。
そういう整理に使う時間がもったいないというのもあるけれど、そもそも考え事に使ったメモである。
考え事に対する結論や解答、踏み込んで考えるべき次のステップが出たら、もう必要のないものだ。
最初の頃は束ねて保管していたけれど、一度だってそれを見返したことはない。
それに見返したとしても、書く速度を最優先にしてその一瞬しか読めないような文字で書いているから、およそ解読できない。
だから置いていてもつかうことはない、無駄なものなのだ。
それと厄介なことは、置いているとそれを見ただけで「こんなに書いたのか」と満足感を得られてしまうことである。
その満足感に意味はない。
ノートを綺麗に書いて勉強した気になったり、タスクを整理してやった気になったり、そういう感覚に似ている。
何枚メモを書いたところで、必要なのはその結果であり、もしも結果が出ていないのであればさらに考えなければならない。
にも関わらず、使ったメモの枚数を見て「よしよし、こんなに枚数を使って考えたぞ」と何かをやったような気になるのは……
書いたメモの枚数で満足する行為の無意味さはわかるだろう。
というわけで使い終わったメモはさっさと捨ててしまえば良い。
そのメモの中で生まれたアイデアや結論は、他の場所にメモしたりしてキープしておけばいい。
そこに至る過程はそれほど貴重ではないのだ。
さて、最近この話題ばかりで芸がないとはわかっているのだけれど、私が作業する場所はもっぱらマクドナルドである。

 マクドナルドのスタイルとしては、食べ終わったら自分でゴミを捨ててトレイを置いて帰るというものだ。
つまりゴミ箱がある。
そこにメモを捨てて帰っている。
休日は図書館で作業をする。
図書館にも出入り口にゴミ箱があるから、そこにメモを捨てて帰る。
いちいち家でメモをリュックから出して捨てるのも面倒なので。
最初に捨てて帰り始めた頃は多少の躊躇はあったけれど、今はもう「そういうもの」として違和感を抱かなくなった。
個人のゴミを捨てているようで申し訳ないという気持ちがないわけではないけれど(今は全くないかもしれない)、まあ持ち込んだゴミではなく、その場で生まれたゴミなのでいいかな、という考えである。