ビルドンブング

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「ナンセンス」と「センスがない」の違いがわかる?

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学生の頃、何かの授業で先生が黒板に「ナンセンス」と書いた。
もちろん何も書かれていない黒板に突然「ナンセンス」とだけ書いたわけではない。
何か文章があって、その文章に対して「それはナンセンスだよ」という意味で書いたのだ。
何もおかしなことはない。
けれど、その時に何人かの生徒が小さく笑っていたのを覚えている。
確かに「ナンセンス」という言葉は意味こそ理解できるけれど、日常的に使う頻度が高い言葉ではない。
さらに文字にして書くとなると、その機会はごく稀だろう。
という経験が逆に印象的なのか、私はこのブログでときおり「ナンセンス」という言葉を使う。
使ってみるとわかるが、なかなか便利な言葉である。
直訳すると「センスがない」という意味合いになると思うけれど、しかし「ナンセンス」という言葉は「センスがない」とは区別される印象がある。
「あの人はオシャレのセンスがないね」と言っても「あの人のオシャレはナンセンスだね」とは言わないだろう。
というか、若干言葉のニュアンスが違うように感じられる。
「センスがない」はダサいとかカッコ悪いとか、そういうネガティブなイメージがある。
一方で「ナンセンス」という言葉にそう言ったイメージを私は抱かない。
自分の主義や信念を主軸にして、そこから外れたものに対して「ナンセンスだ」と言うような使い方をしている。
先の例で考えてみよう。
「あの人はオシャレのセンスがないね」と言えば、その人の服装がダサいというようなニュアンスになる。
「あの人のオシャレばナンセンスだね」と言えば、言った本人にオシャレに対する何らかの主義・主軸のようなものがあり、言った相手がそこから外れている、といったニュアンスになるのだ。
この微妙な違いを表現するために私は「ナンセンス」という言葉を使う。
果たして、読み手にそこまでの意味合いが伝わっているかは不明だし、知り合いなんかと「ナンセンス」と言う言葉に含まれるニュアンスについて話し合ったこともないのでただの自己満足かもしれない。
ただ、冒頭で述べた黒板に書かれたナンセンスの文字を見て笑っていた生徒は、言葉に対してそういう細かいことを考えない人なのだな、とは思う。
別にそれが悪いことだとは言わないけれど、それが声や文字として表現されているからには、その言葉が選ばれた理由というものがそこにはあるのだと思う。
そういうことも意識しながら本を読んだりすると面白かったりする。