基本的には1人でいる時が好きだが、たまに人と話したくなるときもある。
しかしたくさんの人と話せれば良いかというと、そうでもない。
2人での会話、つまり1対1の対話がベストだと思っている。
いや、単に私が複数人での会話が苦手なだけかもしれない。
中学生の頃、同じマンションに住んでいる友達と学校まで通っていた。
しかし、小学生の頃は仲が良かったが中学になると何となく気まずくなる。
入った部活だって違うし、向こうは運動部でこっちは文化部。
小学生の頃はまだ個性が未発達だったり行動範囲が限られていたり、娯楽が共通だったりで楽しく話せることもあったのだが、中学にもなると明らかに趣味が合わないのである。
しかし、なぜだか誰も「これからは別々に登校しよう」とは言わなかった。
いつも3人で登校するが、基本的には2人が会話をして、1人がその後ろを付いていく形だった。
会話をする2人は時々によって変わる。
3人全員が共有していて盛り上がれる話題というのはなかったのだ。
それに、誰も「3人で盛り上がれる話をしよう」なんて心がけてはいなかったはずだ。
少なくとも私はそうだったのだから。
2人の側になったときは楽しかったが、後ろから付いて歩くだけの1人の側になったときは、学校に着くまでが苦痛でしかなかった。
しかし、中学三年生の頃を思い出すと、私は1人で登校していたように思う。
では「これからは別々に登校しよう」と言った記憶も言われた記憶も無い。
一体どういう手段を使ったのか、不思議なものだ……
まさか、何も言わずに勝手に1人で登校していた、なんてことはないだろうな……
つまり、待ち合わせ時間より早く行ってしまうか、置いて行かれるように遅刻するか、そういった手段をとったという可能性も、当時の私の性格や未熟さを思えばなくはない。
だとしたら申し訳ないと思う。
わざわざ直接会って謝ろうとは思わないけれど、教訓くらいにはしたいと思う。
これが4人以上となると、1人と多人数になるから逆に気にならなくなったりしそうだ。
3人でわいわいしているから、私は別にいなくても良いかな、というスタンスになれそうだ。
その3人だって、小さく区切れば1対1のやりとりを細かく回しているか、1人が一方的に2人に対して話しているだけなのだから。。
やはり、会話は1対1、または1人が相手の人数に関係なく一方的に話すというのが一つのセオリーなのだろうか。
もしも3人でうまく会話を回せるのなら、それは単純にその中にいわゆる「回し」に当たる人がいて、うまく会話をコントロールしているのではないかと思う。
もしかしたら私はその「コントロールされている状態」が苦手だったのかもしれない。
かといって自分にコントロールする力量も無く、結果的に3人以上での会話が苦手なのだと決めつけて今に至っているのだろうか。
何にせよ、今の私が3人以上での会話が苦手なことは変わらない。
これからもきっと……