ビルドンブング

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ピアニカを律儀に手で持って帰る真面目な子供だった

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エッセイである。
と断っておけば何を書いても良いと思っているのだが、そもそも何かのジャンルに特化しているわけでもない個人ブログなのだから、何を書こうにも断りなどいらないはずだ。
要は「何のためにもならないことをつらつら書くこと」を「エッセイ」などと格好よく表現しているだけである。
なんて言うと「じゃあエッセイと断っていない記事はためになるのか」という突っ込みが入るかもしれない。
と自分で先に突っ込んでおくことで予防線を張ることができる。
これがセルフ突っ込みの使い方の一つだ。
ためになっただろうか?
なってしまったら先の「何のためにもならないことをつらつら書くこと」というエッセイの定義から外れてしまうので、記事内に矛盾が生じる。
一方で「自慢じゃないが、子供の頃の私は真面目なのが自慢だった」という文章は一見矛盾しているようでいて、していない。
では、そんな子供の頃の真面目さを象徴する小話を1つ、してみよう。
なんて自然な導入だろうか。←こういうのを自慢という。ためになっただろうか?
 
本題。
<鍵盤ハーモニカ>という楽器がある。
<ピアニカ>という呼び方の方が馴染み深いだろうか。
以降は、文字数稼ぎだと揶揄されると嫌なので<ピアニカ>表記で進める。
(という断りが文字数稼ぎなのではと思われることは必至だ)
主に小学校の音楽の時間で使用する楽器である。
低学年はピアニカがメインで、高学年になるとリコーダーになった。
今もそうだろうか?
そんなピアニカだが、音楽会の前など自宅で練習しなければいけないときは、持って帰らなければならなかった。
その持って帰り方である。
私はピアニカのケースを手に持って運んでいた。
オーソドックスな方法である。
しかし、多くの生徒はそうではなかった。
ランドセルのカバーで挟むようにしてピアニカを固定し、背負っていたのだ。

両手がフリーになるし、背負う方が重さを感じにくいし、これは画期的な方法である。
最初にこの運び方を考えた小学生は、きっと好成績で小中高を卒業し、名門大学に行って一流企業に就職したに違いない。
ギリギリの成績で小中高を卒業し、大学に行くことなく無名企業に就職した私が言うのだから間違いない。
しかし、私は頑なにピアニカを手で持ち続けた。
これが子供の頃の私の真面目さだ!
もしも今の私が小学校に通っていたら、必ずランドセルにピアニカを挟んだだろう(それより先に不審者として通報されただろう)。
その方が楽だし、ピアニカを手で持って帰ったくらいで先生から何らかの評価をされるわけでもないことを知っているからだ。
さて、冒頭の「自慢じゃないが、子供の頃の私は真面目なのが自慢だった」という文章が、これで理解できたことだと思う。
理解できたところで、ためにならなかっただろう?
つまりエッセイだ。