普段の私の仕事中の格好はスーツだが、ネクタイはしていない。
たまに新人ホストみたいだと言われるが、そこまで着崩しているわけではなく、ただネクタイをせず、ワイシャツの第一ボタンを開けているだけだ。
同じ格好の人は他にもいるので、新人ホストみたいなのは見た目の問題であり、服装とはあまり関係ないと思っている。
さて、それでもネクタイは必要だ。
洗濯できるネクタイを買って、いつでも使えるようにしている。
まあ、使う機会は年に2、3回程度だ。
先日、久々(半年以上ぶり)にネクタイを使うことがあった。
そこで問題が発生したのだ。
そして私は恐怖した。
ネクタイが結べない
ネクタイを首に掛けて、さあ結ぼうとした途端、手が止まったのだ。
完全なフリーズ状態である。
そこからどうすればネクタイを巻けるのか、まるでわからなかった。
不思議な感覚だ。
今までは何も考えなくても手が勝手に動いていた。
なのに動かない。
そして、どうやるんだったかと考えようとすればするほど、思い出そうとすればするほど、いっそうわからなくなる感覚に襲われた。
結局スマホでネクタイの結び方を調べて、それを見ながら結んだ。
上の画像のステップ2までやったところで、感覚を思い出して何も見なくても最後まで結ぶことができた。
歳をとったのか?
物忘れは老化の始まりである、と思っている。
割とやりたいことを何でもやって、新鮮味のある生活をしているつもりだったが、歳をとるのは避けられないのだろうか。
見た目は若く見えるとよく言われる(自慢である)が、脳は衰えているのだろうか。
その可能性を考えるだけで怖くなってくる。
私は生活のあれこれをできるだけルーチン化して効率的にこなそうとする癖があるので、それで日常生活から新鮮さが失われ、刺激的なことが減っていたのかもしれない。
やはり脳に刺激を与えることが、歳をとらないために必要なことなのだろうか。
どうすれば日常に新鮮さを加えられる?
原因が何となくわかっていても、普段の日常に新鮮さを求めるのは難しい。
もう子供ではないのだ。
たいていのことは知っているし、想像で知った気になれる。
この想像がよろしくないのだろうか。
もっと好奇心に満ちた目を持って過ごせば、日常はもっと新鮮なものであふれているのだろうか。
ただ、他の人と比べれば、多少は周囲の環境や景色から何かを得ようとはしている。
このブログのおかげだ。
ネタを拾うアンテナのようなものが年々敏感になっていると感じている。
しかしそれだけでは足りないのか、まだまだアンテナを尖らせることができるのか。
そういう考え方をすれば、まだまだ自分に伸びしろがあるようにも感じられる。
終わりに
具体的に何か教訓を得られたわけではないが、ネクタイのおかげで現実を見ることができた。
いつまでも若いままではいられないのだと。
それを知れたなら、対策を練ることは可能だ。
今までは漠然と「自分は歳をとらないのだ」「いつまでも若くいられるのだ」という根拠のない自信があったが、そうではないのだと思い知ることができた。
たかがネクタイの結び方だけでそれを知れたのは良いことだ。
自分が歳をとることをしっかりと自覚して、できるだけそうならないように抗おうという気持ちができた。
諦めるのと抗うのとでは、やはり違うだろう。
抗おうという気持ちがあるだけで、老化を多少は抑制できるのではないかと勝手に思っている。