小学生の頃はたまに「骨折したことはあるか」という話題になることがあった。
中学からは急にそういった話はしなくなったし、骨折の話すらもう何年もしていない。
私が骨折をしたことがないから自分からそういう話を出さないだけかもしれない。
けれど確かに、周囲に骨折している人が一番多かったのは小学生の頃だったかもしれない。
今、周囲で骨折する人は稀だ。
小学生が一番骨折しやすいのか、骨折しにくい時代になったのかは不明である。
今こうして考えてみれば、松葉杖を持って片足で歩いていたり、片腕に包帯を巻いて首から吊るして支えているような人を見る機会も少なくなったように思う。
外で動き回らない時代になったから、骨折を含め怪我をしにくくなったのだろうか。
私は骨折したことがないと先に述べたけれど、私は当時の周囲の人に比べればインドアタイプだったから、骨折など怪我をしにくかったのかもしれない。
さて、理由はともかく、何かしら骨折している人がいた小学生の頃、骨折したことがある人は「骨折したことがあるか」という話題を出して、相手が骨折したことがないと知ると「自分は骨折経験があるマウント」みたいのものを行っていた。
当時は「〜マウント」なんて言葉はなかったから「自慢げに話していた」という言い方になるだろうか。
とにかく、骨折経験を武勇伝のようにアピールするのである。
怪我をするほどアクティブなことをアピールしていたのだろうか。
どうしてああも誇らしげに過去の負傷経験を語っていたのか。
まあ、小学生だからそこが子供っぽいということだろうか。
経験の有無で格付けをするような感じなのか。
骨折したことがなければそれはそれで幸いなことのはずだし、現代的に皮肉すれば「あなたは骨折しても治ったかもしれませんが、中には生涯のハンデになってしまった人もいるのですよ、不謹慎です!」と責められる要素にもなるだろう。
最近の子供ならそういう不謹慎マウントみたいなもので言い返したりするのだろうか。
だとしたらなかなか人との関わりが窮屈な世の中だな、と思う。
人に対してマウントをとってしまう気持ちはわからなくもないけれど、その先のことも考えてみれば、おとなしく「マウントを取らせてあげてる心の広い私」でも演じてみた方がまだ将来性があるように思える。
客観的に考えればそちらの方が印象が良く映るように思うのだけれど、その客観性が身に付いていないのもまた子供だから仕方ないのかもしれない。
本質を知らないまま表面的な大人の真似事をして、子供だからこそできる貴重な機会を失って欲しくないな、と大人の私は見ていて感じる次第である。