本を読んだり、アニメを見たり、そういった活動は基本的に娯楽として行うけれど、たまにそれをしんどいと感じることがある。
そういう時は、決まってそこから何かを得ようとしているときだ。
実用書を読んでもなぜか頭に入ってこないことはしょっちゅうである。
「ここに書いてあることを覚えなければ」と思えば思うほど意味がわからなくなるし、記憶にも残らなくなる。
そうしてその読書自体が苦痛に感じてしまう。
脚本の参考にアニメを見まくっていた時期があった。
その時に見たアニメの内容はほとんど覚えていない。
完全に息抜きで、見たいと思っていたアニメや面白そうと感じて興味絡み始めたアニメは、やはり記憶に残っている。
結果的に、楽しんだ方が記憶には残っていたりするのだ。
「何かを得る」ことを目的にするのではなく、別の目的で作品に触れた結果として「何かを得ていた」という状態の方が好ましいだろう。
けれどそのスタンスだと意図的に何か参考になるものを得ることが難しくなる。
その辺り、やはり「自分なりの勉強法を身につけているかどうか」になるのではないだろうか。
私は学生の頃にちゃんと勉強しなかったから、身につけられていない。
だから結果的に得るという受動的なことしかできず、能動的に何かを得ようとすると難しくなってしまう。
いわゆる「天才」と呼ばれるような人たちはどちらなのだろうか。
世の中にはどちらのタイプもいるように見える。
けれど努力を隠す人は多い印象なので、やはりそれなりの成果を出している人は、裏でちゃんと勉強の類をしているのではないだろうか。
どっちのタイプだっとしても、勉強できないよりはできた方が良いだろうから、今からでも自分なりの勉強法を身につけるべきだろうか。
まあ、時間はあるわけだし……