先日、自宅のアパートに帰ってきたら、隣の部屋の玄関前に荷物が置いてあった。
それも、段ボールに入った荷物ではなく、商品のパッケージがそのままの状態、つまり店頭に陳列されている箱と同じ状態で置かれていた。
だから近づいたらそれの中身が何かわかる状態なのだ。
ということは、人によってはそれを見て「私が欲しいやつだ!」となる可能性が大いにあるということである。
これが中身の見えない段ボールであれば、盗みという犯罪を犯しても、結果的に自分が欲しいわけでもないものだったりするわけだから、なかなかそのリスクをとって盗む人はいない。
それでも簡単に盗める状態であることには違いないけれど。
逆に言えば、その品物の中身が何かわかる状態であれば、場合によっては盗まれる可能性が高いわけだ。
しかし盗まれていない。
置き配の窃盗は珍しくないとは聞くけれど、なんだかんだで置き配システムは続いているし、在宅していなくてもいつでも受け取れるから便利に使われているようだ。
私もAmazonからの配達は基本的に置き配としている。
というかAmazonは置き配指定がデフォルトになっているし。
もしも私が他の人の家の前に置かれた荷物を盗まない理由があるとすれば、もちろん犯罪だからリスクがあるというのが一番だけれど、自分の荷物が盗まれたくないというのも理由にはある。
もしも置き配指定していた荷物が「配達完了」になっているのに玄関前に置かれていなかったら、盗まれたことを疑う。
そしてその疑いは住んでいるアパートの近隣の部屋の住民になるだろう。
一軒家ならともかく、アパートやマンションの置き配された荷物を盗むとなると、やはり同じ階に住んでいる人が怪しい。
実際に盗んでいなくても、犯人が見つからない限りはずっと疑いが残るだろう。
隣近所の住民に疑われているなんて、とても住みやすい環境とは言えない。
こんなふうに、ちょっと荷物を盗んだだけで生活環境が悪くなってしまうことは考えればすぐにわかるし、ただただリスクでしかないから、私は近隣住民の玄関前に置き配されている荷物に手を出すことはないし(当たり前のことである)、近隣の住民も、私の部屋の玄関前の荷物には手を出さないのだと信じている。
こんな具合で、微妙な自己中心的とも言えなくもない信頼関係のもとに成り立っているシステムだな、と感じる。
環境や民度によってはとても成り立たないのではないだろうか。
置き配が成り立つ不思議な環境
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