ビルドンブング

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他人が関わる問題が一番厄介だ

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ずっと考え事をしているのだけれど、ずっと答えが出ないで堂々巡りになっている。
原因はわかっていて、その問題に自分以外の他人が関わっているからだ。
自分なりに色々と考えてはみるのだけれど、最終的には「あの人に確認してみないと」という保留みたいな結論になってしまう。
自分の考えが全て推測の域を超えないのだ。
だから明確な答えが得られないまま、他の答えがないか考えたり、今出ている答えを疑ったりで、考えがまとまらず延々と続いてしまう。
面倒な話である。
自分では自分のことを「自己完結型」だと思っているし、実際にこうやって他人が要素に絡む悩みや問題を抱えることはごく稀である。
単にそういった問題に慣れていないだけだろうか。
ここにきて「他の人が人間関係の問題にどうやって決着をつけているのか」が気になってきた。
こんなに厄介なものを抱えないといけないのか。
今まで幸せだったかもしれない。
客観的にみてもストレスの少ない生活を送っていたように思う。
それでも人生でストレスがかかっていた時期を思い返してみると、なるほど確かにそのストレスは他人に起因するものばかりだ。
裏を返せば、自分だけでどうにかできるものは全てどうにかしてきたとも言える。
ことごとく「あまり人と関わりたくないな」と思う。
というか、ずっとそうしてきた。
基本的に自分が好きな相手としか関わらない。
もちろん、相手も私を好きになってくれることが条件だ。
こちらが好きというだけで嫌がっている相手に近づくこともしない。
だから人間関係の悩みやトラブルは世間一般よりも回避できているつもりである。
5年ほど続けているこのブログでそういった話題がほとんどないのもその証拠だろうか。

もしかしたら、時間が解決してくれるのだろうか。
つい自分の問題と同じ感覚であれこれ考えてしまうけれど、そもそも「自分ではどうしようもない」と割り切って何も考えないのが正解なのだろうか。
けれど考えないことが正しいとはとても思えない。
ある程度は考え抜いて、自分にはこれ以上考えられることはないという状況にはしておきたいようにも思う。
だから悪いのは考えが堂々巡りしてしまうことかもしれない。
そこから離れて新しい発想が生まれるのであれば、とことん考えておいた方が安全側になる。
相手がどう考えているかわからないにしろ、相手が考えていることの候補を多く持っておくことはこちらにとって有利なはずだからだ。
できるだけ新しい発想に向かう方向で、とりあえずもう少し考えてみるのが良さそうだろうか。