ビルドンブング

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便利な言葉を言い訳にして考えることから逃げる人たち

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会話をしていて、相手の言葉の意味が理解できなくて聞き返す。
すると「これはもう哲学だから」と訳のわからないことを言って誤魔化される。

少なくとも「哲学」ではない。
実際のところは知らないけれど、学生時代に受講していた哲学の授業では「哲学は考える必要のないことでも考えて、考え続けて、突き詰めていくこと」というような記憶がある。
ちなみに、あえて調べずに自分の記憶をそのまま書いた。
AIに書かせるとちゃんとした定義を書くだろうから、アンチテーゼのようなものだ。

 

「これは哲学だ」という返答は、哲学的という言葉に含まれる曖昧さに甘えて、具体的に考えることを放棄した受け答えと見受けられる。
とても残念である。
そんな受け答えをされて全くイライラしないわけではないけれど、それよりも、そんなことを言ってしまう相手が可哀想になる。
そうやって考えることから逃げていると、きっとこれから損をすることがたくさんあるだろう。
そして、考える癖がないから「考えなかったせいで損をした」ということを意識できず、ずっと損を繰り返すことになる。

偉そうなことを言っているように思われるかもしれないけれど、単純な言葉にしてみよう。
「考えないよりは考えた方が損をする確率は低い」
いかがだろうか。
わりかし当たり前のことではないだろうか?

たまたま一例として「哲学」という言葉を使ったけれど、他のことにしてもそうだ。
便利な言葉で考えることから逃げていないだろうか?

「それってあなたの感想ですよね?」とか。
「あなたの感想」ということにして、相手の意見について考えることから逃げていないだろうか?

別に、それはそれで構わないのだ。
言われた方はムカつくだろうけれど、そうやって相手をムカつかせること自体も自分の損として返ってくる可能性だってあるわけで。
そこまで考えて言葉を選びましょう、という話。

流行っている言葉をそのまま使ったりするのも、まあネタとしてはいいけれど、ネタであることを共有できる相手かどうかとか、その場に相応しいかどうかとか、考えた方が良い。

私がこうやって毎日ブログの文章を書いているから、言葉やそこに含まれる意味合い、相手が受け取る印象に多少は敏感になっている可能性はある。
けれど、そんな敏感な人は必ず他にもいるわけで、安全側に見れば、相手が敏感であるという前提で考えてみても良いのではないだろうか。
「この人はそういうの気にする人じゃないから」とか、それこそあなたの感想なのだ。
表に出さなだけで、心の中では気にしていますよ。