買ってから後悔することは珍しくない。
そこで「この買い物は失敗だった」で済ませることは簡単だけれど、もう少し考えてみたい。
買ったものを結局使わなくなったとして、それを「失敗」の一言で済ませて良いのだろうか?
もしも「この買い物は失敗だった」と感じることが珍しくない場合、そこは原因を深く考えて、同じような失敗をしないことが建設的な行動と思われる。
では、考えてみよう。
ここ最近で思いつく例は、作業環境に関わるデスクや椅子などである。
年単位で振り返れば、スタンディングデスクに始まり、ローデスクや座椅子なんかも経て、結局シンプルなデスクに行き着いた。
では、最終的なデスク以外は買い物として失敗だったのか?
結果的に損をしたと言える金額はそこそこになるけれど、失敗だったとは思わない。
例えばローデスクなんかは、実際に使ってみないとわからないことも多かった。
もしもその過程を飛ばしていたら、またどこかで「ローデスクはどうだろうか?」と悩むシーンが訪れるだろう。
今は経験済みなので「ローデスク」という選択肢は実績をもって却下できる。
つまり、悩む要素にならないということ。
このように、実際に買って使ってみることでしかわからないこともある。
その結果として「使わない」と判断できたのであれば、物自体は手放すことになっても、経験として価値はあったと思う。
けれど、全てがそうではない。
それが本当に「使ってみないとわからないことだったのか」ということが次の問題になる。
何も考えずに購入して、使って、使えないというような買い物をしていたら、何でもかんでも買わないと判断できない馬鹿である。
購入前に、十分な検討をすべきだ。
この前も、デスクマットの購入を検討して、不要という判断ができた。
もしも考えるという過程を飛ばしていたら、1万円以上のデスクマットを購入した挙句、結局は使わないという結末を迎えていただろう。
このように、買わなくても商品情報などから使用感を想像することはできる。
その想像の段階で不要と判断できる場合もある。
冒頭の話に戻ろう。
もしも「この買い物は失敗だった」と思う事象があったとしたら、それは「購入前にもっと考えるべきだった」に置き換えられるものである。
購入物が使えないものだったとして、その使えなさが事前に得られる商品情報やレビューなんかから想像できることだった場合、後悔となるのだ。
事前に熟考した上で購入して、実際に使ってみないとわからないようなことで使えないと判断した場合は、無駄ではなかったと言える。
だから私は買い物の前にかなり考えるようにしている。
デスクマットは3時間ほど考えたし、3Dプリンタは5時間くらい考えた。
デスクマットが1万円として、その購入を検討するのに3時間使ったとしたら1時間あたり3,300円ほどと言える。
この時給換算的な考え方の是非は置いておいて、まあどれくらい考えるかの指標には使えるだろうか。
逆に、安い買い物であればそこまで考えない。
100均で売っているようなものを買うかどうか考えるのに何時間も使うのは割に合わないだろう。
そういうバランスで、後悔しない買い物をできるようになりたいところである。