ビルドンブング

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あまり自分から話し出さない方が良い

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「自慢をするな」ということなのだけれど、それだと微妙にニュアンスが違ったりする。
自慢をするタイミングの話だ。
会話の最中に、突然自分のことを話し始めるがいる。
それはその会話のテーマに沿っていることもあれば、沿っていないこともある。
沿っていない場合は無視して良い。
沿っている場合でも、その話を聞きたい場合と聞きたくない場合がある。
聞きたくないのは、その話が明らかな自慢である場合だ。
つまり「そのテーマなら自分はこんなことを知っている、あんなことをしたことがある」というような展開に持っていこうとする意図が透けて見える場合である。
そうなると「こいつ自分の自慢したいだけじゃん」な空気になって、語っている本人は気持ちいいかもしれないが、聞かされている方は楽しくない。
どうして楽しくないのかというと「聞きたい話じゃないから」である。
他人の自慢話なんて興味ないし、相手や気分によっては腹立たしい。
少なくとも会話を楽しもうという気持ちは失われる。
まあ、それはその人が勝手に損してしまうだけのことなので放っておけば良い。
考えるべきは、自分がその立場にならないように気をつけることである。
これが実は難しくて、気をつけすぎると自分から話題を提供できなくなるので、その場にいる意味がなくなってしまう。
結局のところ話題は自分の中にあるものを提供することになるので、割と自慢になってしまいがちなのだ。
自分の体験談を話しただけでも、話し方や受け取られ方によっては自慢話に聞こえてしまいかねない。
しかし、自慢話に近いような体験談や知識に関する話を受け止めてもらえるパターンがある。
それは、相手の質問に答える形で自分のことを話す場合だ。
例えば「エクアドルに行ったことがある」という話をするとしよう。
自分から突然、ないしはちょっと話題が旅行系に寄った時に「エクアドルに行ったことがあって——」なんて言い始めたら、自慢話を始めたと思われかねない。
一方で、その場にいる誰かから「海外に行ったことあるの?」と聞かれて「エクアドルに行ったことがあって——」と話し出す場合には、自慢話とは思われにくいだろう。
(その後の話の持っていき方にもよるけれど)
つまり、控えめに待っていれば良い、ということだ。
たとえ自分のフィールドにできそうな話題になっても、自分から話し出さず、話を振られるのを待つのである。
とはいえ、話を振られる保証もないので、少し可能性を上げるくらいのことはしてもいいかもしれない。
例えば相手の話への相槌として、何か「私にもそっち方面の知識が少しありますよ」と思わせられるような発言をしておけば良い。
そうすれば相手が何かしらを察して話を振ってくる可能性がある。
ただし、ここで見栄を張って知ったかぶりのような相槌をすると逆効果だ。
やはり、控えめに待っている方が賢明と思われる。