雑談が苦手である。
目的のない会話は苦手で、いわゆる雑談に分類されるような会話はすぐに終わってしまう。
先日、外を歩いているときに近くを歩いていた二人組の会話の一部を文字にしてみよう。
「PayPay入れてる?」
「うん、入れてる」
「ホントに?」
「ホント」
さてさて、私にはこの会話ができないだろう。
最初の2行で終わってしまう。
相手がスマホにPayPayのアプリを入れているかどうかの確認がしたいとして、それを尋ねて相手が「入れてる」と答えれば「そうか、入れているのか」と自分の確認したかったことが確認できたわけで、そこで目的達成だ。
そこから先「ホントに?」からは目的のない会話となる。
別に相手がPayPayを入れていることを疑っているわけではないだろう。
会話の緩衝材というか、ちょっとしたコミュニケーションとして「ホントに?」と尋ねたのだと思う。
そういうことを、私はできないのだ。
逆に、目的さえあれば会話はいくらでもできる。
お互い知らないこと、知識が曖昧なこと、何かしらの結論を出さなければいけないことについて話し合うような場面だ。
異性と買い物デートする場面で考えてみよう。
もしも買いたいものが明確に決まっていたら、それが売っている場所に行って、それを買ってお終い。
特に会話は発生しない、というかこちらから何かを話すことはないと思われる。
一方で「こういうことができるものを探している」とか「こういう不満を解消できるものはないか」といった、目的は決まっているが、それを解決するために何を買えばわからないというような場合は、そこそこの会話が発生すると思われる。
私は何かと考えるのが好きなので、きっと相手の曖昧な部分をもっとハッキリさせて、具体的に何を買うべきかを考えようとあれこれ質問をするだろう。
それを「会話」と表現していいのかは謎だが、少なくとも言葉を交わすという状況にはなる。
さらに言えば、それでいいと私は思っている。
つまり努力して「雑談力」みたいなものを高めようとは思っていないということ。
会話なんて情報伝達の手段だと割り切って、そこにそれ以上の目的を求めようとしない。
そんなスタンスだから、いつまで経っても雑談が苦手なままなのだろう。
苦手であることに大きなデメリット、何か努力をするほどの損をしていると感じていないから、そのまま放置していると言ってよい。
一方で、こうして一人で思ったことや考えたことをひたすら文字にすることができている。
中にはそういうことができないという人もいるようだ。
私がブログだけを淡々と毎日更新しながらも、他者との繋がりが発生するSNSが長続きしないのはこの辺りに理由がある気がする。