先日、学校の体育の授業に物申すような記事を書いた。
まあ、否定的ではないとは言わないけれど、ちょっとした思い出話の側面の方が強いものではあるのだが。
実際のところ、体育の授業は嫌いだったし、今現在、体を使うような仕事はしていないし、体で収入を得るような活動もしていないが、全く役に立たなかったとは言い切れない。
その際たる所以が「ラジオ体操」である。
小学校の頃は体育委員が自主的に考えた運動を準備運動としていた。
(そういう自主性のようなものを育てる方針だったのかもしれない)
しかし中学校ではラジオ体操第一が準備運動となった。
体育の授業は週に2回か3回だっただろうか。
授業の内容に関わらず、最初の準備運動は必ずラジオ体操だったので、1年のうちに100〜150回ほどのラジオ体操をしていたことになる。
中学だけでも3年間だ。
それだけやっていれば体に染みつくというものである。
書いていて思い出したけれど、中学1年生の最初の頃に「ラジオ体操のテスト」なるものがあった。
ラジオ体操の内容を覚えて、それにプラスアルファで指先や動きの機敏さが評価された。
そう、あの授業だけは今、存分に役に立っている。
キビキビした動きでラジオ体操ができる。
そういえば、高校になって、他の中学校から来た人のラジオ体操の気の抜けた感じに眉を顰めたものだ。
「そんなの運動にならないだろ!」というような代物だった。
ただただ「ラジオ体操に見えるように体を動かしているだけ」だったからだ。
ちゃんとした動きでやるラジオ体操は、本当に準備運動になるし、大人になってからの運動不足も解消される。
やってみてわかるけれど、あの体操は全身運動なのだ。
準備運動として的確に体の至る所を動かせる。
もしも最近運動をしていない人は試しにラジオ体操を真剣にやってみてほしい。
「真剣に」という点が大事である。
ただ動きを真似するのではなく、体を動かしているということを意識して、一つ一つの動きを的確に行うのだ。
それをラジオ体操のリズムに合わせてやろうとすると、少し急いで体を動かさなければいけない場面が出てくるはずだ。
それこそが運動である。
そして、翌日には体のどこかが筋肉痛になるはずだ。
それは普段使っていない部位である。
スポーツをしていない人であれば、必ず「普段使わない部位」がある。
前述の通りラジオ体操は全身運動なので、そういう部位もしっかりと動かせるわけだ。
そんなラジオ体操を毎日行うことは健康的だと思う。
そして、それを気軽に行うには、ラジオ体操の内容を覚えておく必要がある。
毎回動画を流したり、音楽を再生するのは手間だろう。
その手間だけでついついサボりたくなる。
私は中学の体育の授業でみっちり覚えたので、何もなしにラジオ体操第一をすることができる。
体が覚えているのだ。
だから「覚えさせてくれてありがとう」と思う。