ビルドンブング

自由でシンプルな生活を求めて試行錯誤する記録を毎日更新中

最近YouTubeを見るのが疲れる

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YouTubeの登録チャンネルが更新されていたので喜んで見て、それっきりにしておけばいいものを、そこからサジェストされた他の動画も見て、そうしているうちになんだかげんなりしてくることはないだろうか?
なんだか動画を見る前まであったやる気がごっそり削り取られたような、そんな感覚。
本当に見たかったのは登録チャンネルの新着動画だけだったはずなのだ。
不思議である。
サジェストされた関連動画のサムネを見て「見たい」と思って開いたはずなのに、その動画の再生時間の半分もしないうちに脳の半分、いやそれ以上は退屈を感じているのだ。
しかしそんな退屈した部分を尻目に「このまま動画を見て時間を潰そうぜ! その方が楽しいもんね!!」と動画を見るのをやめさせてくれない部分もある。
もちろん、それに乗ってダラダラと動画を見ている方が楽なのだ。
何もしなくていい。
何も考えなくていい。
しかし、そうやってみたはずの動画の内容をほとんど覚えていないのが実際のところだ。
「じゃあ見る意味ないじゃん!」て分かってはいるのだけれど、いざとなるとやっぱりダラダラと見てしまう。
それで素直に充実感を得られるならそれでも良いのだ。
そういう人もいるのだろうか?
私は例えばYouTubeをあてもなくダラダラ見るだけで数時間を使ってしまった休日なんかは、せっかくの休日を無駄にしてしまったように感じてしまう。
そんなことだから、長時間、特に見たかったわけでもない動画を見た後に、妙な虚無感を抱いてぐったりしてしまうのではないだろうか。
回避する方法は思いつかない。
強制的にオフライン環境に身を置くくらいか。

 それでも、そういう手段が取れるだけ恵まれた環境なのかもしれない。
自宅にWi-Fiがあったら、いつだってオンラインになれるのだから。
数年前、自宅にWi-Fiがあったころはルーターの電源を切ったりしていたものだ。
しかしそんなものはただの物理スイッチのオンオフでしかなく、ちょっと棚の下にかがみ込んでルーターの裏のスイッチを押せばいつでもオンライン。
あの頃に比べれば、まだネット環境との距離感は保てている方か。
電車通勤するようになって、ほとんどの人がイヤホンをしてスマホで動画を見ているかゲームをしている。
私は何も聴かずぼんやりしている。
ぼんやりしていることを無駄に感じるだろうか?
例え見たいと思っていたわけでもない動画や聴きたかったわけでもない音楽だったとしても、それに時間を使った方が有意義に感じるだろうか?
もしも感じるなら、その感性から疑った方が良いかもしれない。
少し前まで、ラジオを聴きながらやアニメを見ながらでないとジョギングできなかった。
今は何も聴かず、目の前の壁を見てマシンの上を走っている。
そちらの方がずっと有意義に感じる。
自分と向き合っているからだ。

 何かに流されるより、自分の中と向き合っている方がずっと健全に思える今日この頃。
そんなお話。