ビルドンブング

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ジョギングのお供は「考え事」なのか?

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あえてイヤホンをつけず、つまり何も聴かずにジョギングするのが意外と有意義という趣旨の話をした。

 この時はまだ試験的にやってみたくらいで、外を走っているからいいけれど、ジムのマシンを走っている時は音楽やラジオでも聴いて気を紛らわせないと、とても同じ場所をずっと走ってなんかいられない、という推測をしていた。
それは間違っていたかもしれない。
むしろ、周辺の環境を注意しなくてもいい屋内のマシンジョギングだからこそ、何も聴かないで走るべきなのではないか。
つまり「考え事に夢中になりながら走れるのではないか」と思ったのだ。
ジムでのジョギングを最近またしているのだけれど、その時に音楽を聴いていてもラジオを聴いていても、どうにも退屈なのだ。
耳から流れてくるコンテンツに集中しようとすればするほど退屈する。
もちろん、コンテンツがつまらないわけではないのだけれど、ジョギングがしんどくなるのだ。
だが、たまに聴いている音楽なんて無視して、考え事に夢中になっている時がある。
「音楽を聴くぞ」と思っていたのに、いつの間にか全然関係のないことを考えていて、いつの間にやら音楽が終盤になっている、というような事態が頻発する。
そして、そうやって考え事に夢中になっている間は、ジョギングがしんどいだなんて考えないのだ。
他のことを考えているのだから当然といえば当然である。
それでふと「ジョギング 考え事」で検索してみた。
するとどうやらジョギングと考え事の相性はいいらしい。
まあ、こんなワードで検索したらそういう結果が出てくるのは当然なので、都合のいい解釈と言われても仕方はないけれど。
だが実際、考え事に夢中になってしまうのだから、それを阻害せず、むしろ頭に自由に考え事をさせた方が良いのではないか、とも思う。
それはつまり、余計なノイズを排除すること。
ラジオも音楽も聴かず、淡々とマシンの上を走り続けるということだ。
そう考えればなかなかマシンジョギングも楽しく思えそうだ。
「ジョギングをするために仕方なく暇つぶしのラジオや音楽を用意する」というのではなく「考え事のためにジョギングをする」という意識に切り替える。
それならジョギングで体を動かしつつ、頭の中の整理もついて一石二鳥!
一石二鳥だとお得感があって、それ自体がモチベーションになったりもするわけで、とりあえずジムでのマシンジョギングを「考え事に集中できる時間」と捉えてみることにする。