ジョギングしている人はどんな表情をしていたっけ?
さて、たいそうな、というか意味のわからないタイトルである。
虚無は言い過ぎかもしれないけれど、タイトルのインパクトは大切でしょう?
最近はジョギングしている人はもれなくイヤホンを装着していると言っても過言ではない。
基本的に運動なんて別に生活する上で必須ではないし、体力を使うしんどい作業だから、やりたくないのだ。
それでも健康のためとか体づくりとか、走り切った時の達成感や汗を出し切った気持ち良さを求めて走るわけだ。
私見だが、少なくとも走っている最中は全くもって楽しくない。
(部分的に楽しく感じることもあるけれど。ランナーズハイ?)
だからまあ、気を紛らわすためにイヤホンを装着して何かを聴いているわけだ。
それがジムなどで行うマシンジョギングなら、マシンの上にスマホやタブレットを置いて、動画を見ながら走るわけだ。
という話をすれば「虚無ジョギング」という言葉で何を表したいのか、察しがつくだろう。
イヤホンをせず、気を紛らわせるような何らかのコンテンツを再生することなく、ただただ走ることである。
「そんなの無理だ!」と思い込んでいたのだが、これが意外と大丈夫だった。
と言っても、外でのジョギングでしか試していない。
外なら景色も変わるし、環境音・騒音もあるので退屈しない。
ジムの中でのマシンジョギングでもできるかどうかはわからないし自信はない。
けれど外を走る場合においては、何のコンテンツもなしに走るのはなかなかスッキリした。
普通に走っても体はスッキリするけれど、頭もスッキリする感覚があった。
コンテンツを再生するということは、インプットが発生するということで、脳内に情報が溜まっていく。
一方で、何もなしに走っていると、無秩序なアウトプットが生じる。
とにかく雑多なものが頭の中に浮かんでは消えていくのだ。
連続性が有るようで無い。
普通に生活していたら考えないようなこと、あるいはついつい考えてしまうが結論が出ないようなことが脳内でループしているような。
しかし体は走っているので、考え事にそこまでのエネルギーを使えない。
その制限がなかなか良い感じに作用しているように思えた。
これは、実際に体験してもらわないと上手く伝えられる自信がないのだけれど。
普通に考えたら「悩み事」に分類されて留まってしまうような雑多なことが、「そんなのいいじゃん、どうでも」と次々と吐き出されては消えていくような感覚。
もしも前みたいにラジオを聴きながら走っていたら、その内容を追うので頭は必死なので、そういう現象は起こらないだろう。
体だけでなく頭もスッキリしたいのなら、あえて気を紛らわすようなコンテンツを使わず、虚無状態でジョギングしてみるのが良いかもしれない。
アクティブな瞑想のようなものだろうか。