ビルドンブング

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【受験の思い出話】母「落ちてる」→落ちてなかった

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今週のお題「試験の思い出」

自慢じゃないが、推薦枠なら面接だけで入れる学校に、学力試験を受けて入っている。
「難しい試験を通って合格したのだ!」と言えば自慢になる。
実際は人と話すのが苦手で、面接なんて落ちるのは目に見えていたから、最初から面接の練習などに時間を使わず、ひたすら赤本の問題を解いて学力試験に備えていた。
ただの人見知りが知恵を働かせた小細工である。
苦手な面接を練習するより、可能性がある学力を上げるのに時間を使った方が効率的でしょう?
思えば、その頃から効率的なのか遠回りなのかわからないことばかりしていた気がする。
というのは思い出話でもなく、もっと色々あった。
さすが、人生を左右すると言っても過言ではない入学試験である――
 

訳のわからない試験問題

脅すわけではないが、試験問題のレベルは予想を遙かに超えていた。
  • 英語では国語の文章問題をそのまま英語にしたみたいな長文を読まされ
  • 国語では読んでいるだけで試験時間が終わりそうな文章量を相手にさせられ
  • 地理・歴史・公民に至っては、それが地理なのか歴史なのか公民なのか、それすらわからない
まあ、要するに私は理系だったので、文系科目がまるでちんぷんかんぷんだったのだ。
わけのわからなさに「この時間が過ぎてくれればそれでいい。合格不合格とかどうでも言い。だから早く解放してくれ」と投げやりになった。
アドバイスをするなら、本番を想定した時間配分で連続して各科目の問題を解く訓練をしておくと良いだろう

受験番号がない

合格発表は母と二人で見に行った。
ご存じの通り、張り出される合格者の受験番号は番号順になっている。
例えば、受験番号が9523だっとして、まずはざっくりと全体を見て9000番台があるゾーンを特定する。
次に、9500番台まで的を絞る。
では次は9520番台、と鳴るかと思いきやそうはならない。
なぜか9500番から順番に見ていくのだ。
ハラハラしたいのか?(ドキドキを楽しむ)
焦らしているのか?(セルフ焦らし)
だから私は受験番号を見つけるのに時間がかかった。
というか、見つけられなかった。
なぜなら、隣にいた母が「ない」と言ったからだ。
一世一代の合格発表を奪われた。
せめて自分で番号がないことを確かめて落ち込みたかった
帰りの車の中はお通夜モードである。
帰宅後、少し待つと、学校のホームページでも合格者の受験番号が公開された。
それを見ると、私の受験番号はあった
合格していたのだ。
だが喜ぶタイミングは逃した。
合格者が張り出された板の前で喜びたかった。
あの帰りの車内の居心地の悪さは何だったのか……

第3希望でいいのか

種明かしをすると、私が受験した学校には4つの学科があり、第3希望まで書くことができた。
第1を電気、第2を機械、興味があったのはその2つだけだったので、第3希望まで書く必要はなかったのだが、書かないともったいないということで、残された土木と建築から、土木を選んで書いた。
土木に全く興味はないのだが。
さて、合格発表の番号は、当然学科ごとに分かれている。
そして、第3希望まで書ける性質上、3つの学科の番号を確かめないといけない。
しかし母親はその仕組みに気づいていなかった。
それが何学科だったのかは知らないが、一番近くにあった番号表だけを見て私の番号がなかったから、落ちたと勘違いしたのだ。
迷惑な話である。
ちなみに、私が合格したのは全く興味がなかった土木学科である。
むしろ「もったいないから」ととりあえず土木を第3希望に書かず、第2希望までで提出していたら、落ちていたわけだ。
で、興味のない土木学科に行って良いのか?
私に選択権はなかった。
そこそこの有名校だったので、周囲は「辞退するなんてもったいない」と言う。
結局土木学科に行って、そのまま卒業するのだが、まあ就職先は土木系ばかりである。
まあ当然と言えば当然だが。
ただ、若手が不足している業界なので、就職活動は楽だった
大学生は就活で何十社と受けるみたいな話を聞いたことがあるが、私が受けたのは3社のみである。
その3社にしても、自分の能力をわきまえて有名企業は避けたので、ある意味では妥当な結果だろう。
とにかく楽に就職活動を終わらせたいなら土木は良いかもしれない
ただし、これは私の体験談の域を出ないので、本気にされても困る。
ちゃんと事前に調べた方が賢明である。
文句は受け付けない。

終わりに

冒頭で述べたとおり、面接を捨てて学力試験に全力を注いだ。
しかし私の全力なんてたかがしれている。
今でも出身校を言うと「じゃあ賢いんだ」と返してもらえるくらいの学校を卒業しているのだが、入学できたのは奇跡と言っても良い。
卒業できたのは「留年なんて恥ずかしいから」というプライドのおかげだ。
結局のところ、入学さえしてしまえばどうにでもなる。
たとえ落ちこぼれでも、卒業生になってしまえば成績なんてどうでもいい。
社会人になってから学生の頃の成績が話のテーマになったことは一度もない。
どんな学校に通っていて、どんな部活をしていたかがせいぜいである。
入学さえできれば、あとはどんなことがあっても卒業にまで漕ぎ着ければ卒業生を名乗れる。
成績なんて誰も気にしない社会に行ける。
だから入学だけを目標に今だけ頑張ればいいだろう。
すべての人がそれでいいかどうかは知らないけれど、まあ、悔いはないように。