ミニマリストを目指すにあたって、考えなければいけない問題の一つに、衣類がある。
これについては、もともとオシャレに無頓着なのもあるし、節約生活も心がけているので、基本的にユニクロで調達した服だけを着ている。
しかし、どこかにオシャレを楽しみたいという願望もあったのだろう。
図書館をウロウロしていると、一冊の本を手に取っていた。
その本を手に取って初めて、自分のオシャレ願望を自覚するに至った。
そう、服を買いたいと思っている。
今の服装に満足していない。
しかし、今の服でも生活はできている……。
そんな状況を打破してくれそうな気配を感じて、借りて読んでみた。
持つべき服とは
現在の私は2種類の服を持っている。
仕事の日や、予定のない休日に着る「無難な服」。
これが、冒頭で述べた、ユニクロで買った服である。
もう1つは、デザインが好きで「こういう服を着てみたい」と思って買った服。
しかし、後者の服は滅多に着ていない。
なぜなら、無難な服は毎日着ているので、結局休日も予定の有無にかかわらず、同じ服を着てしまうからだ。
好きな服を私服に
「服を買うなら、捨てなさい」では、1週間着なかった服は捨てるべきという旨のことが書かれている。
では、好きで買った服は捨てるべきなのか……。
いや、それこそが本当に着たい服。
捨てるなんて考えられない。
というわけで、1週間の間に着る!
私服にする。
今までは結局休日も平日と同じ服装をしてしまっていたが、休日はオシャレをする!
着たい服を着る!
着るために買ったのだから。
服は着てこそだ。
服に限らないが「値段÷使用回数」が実質の値段である。
例えば、最新のiPhoneを3年周期で買い換えるか、型落ちのiPhoneを1年か2年ごとに買い換えるかというようなものだ。
そして、服に関しては、本当に気に入ったものだけを買って、それを何度も着るのがいい。
出し惜しみは不要だ。
ファッションこそ、流行の移り変わりが激しい世界である。
出し惜しみなんてしていると、いよいよ着る機会なんて無くなってしまう。
どんどん着て、汚して(もちろん扱いは大事に)、ダメになったら買い替え時だ。
その時の時代に合わせて、その時に気に入った服を買えばいい。
バリエーションはいらない
「服を買うなら、捨てなさい」で個人的に一番影響を受けたのがこれだ。
なぜか、手持ちの服にバリエーションを求めていたが、そんなものはいらなかった。
「こういうのも持っておくとバリエーションが広がりそう」と思って買った服があるのだが、結局買ってすぐに着たくらいで、あとはクローゼットの肥やしになっている。
それもそのはず。
その服を買った動機は「バリエーションが増えそう」というだけで、その服を気に入ったわけではないからだ。
本当に気に入ったものだけを買うというポリシーに反する。
ワンパターン=スタイル
そんな買い方をしていてはワンパターンになるのでは?
そう思ったが、それで良いのだ。
それがその人のスタイルとなる。
有名人でも「この人と言えばこのファッション」と確立している人が多い。
この人はいつもポップな服ばかり着ているなと思うが、別に「ワンパターンだな」とは思わない。
むしろ、着こなせているし、似合っている。
だから、それがその人のスタイルなのだ。
漫画やアニメのキャラクターだとより顕著である。
キャラの性格に合わせた服装をしているし、意味もなくイメージと異なる服装では登場しない。
自分が気に入った服だけを買う
↓
なんとなく傾向が現れる
↓
それを機続けることで自分のスタイルになる
着ない服はその時に処分
前述の通り、1週間着なかった服は、今後も着る機会はないと思われる。
「もしかしたら着ることがあるかも」と考えてしまうのが甘いところだ。
だが、その辺も「服を買うなら、捨てなさい」ではカバーしている。
そのもしかしたらが来た時には、その服は古くなっている。
素材の話じゃなく、時代の話だ。
流行は一定のサイクルがあるので、また流行になる時が来ると言われている。
じゃあ、今は捨てずに、再び流行が来た時に着ればいいか?
それは間違いだ。
確かに、大きな括りで同じ流行となるが、それは過去のものとは異なる。
その時に合わせたデザインというものがあるのだから。
例えば、ジージャン。
今売っているジージャンと、過去に流行ったジージャンでは、やはり印象が違う。
どことなく古さが滲み出る。
流行り物を着るのなら、流行っている時に買ったものを着るべきなのだ。
だから、今はやっているわけでもなく、特に期待と思わない服なら、処分対象として問題ない。
処分と言っても、古着屋に持っていってもいいし、今ならフリマアプリで個人的に売ることもできる。
まとめ
2015年に初版が発行されたみたいなので、6年前の本になる。
それでも、現在に通用する内容だった。
やはり、バリエーション神話を崩してくれたのには感謝だ。
思えば、周りにもバリエーション神話に支配されている人は多い。
会社に、ロングパンツやロングスカートがとても似合う女性がいるのだが、たまに何を思ったか膝下丈くらいのスカートを履いてくる日がある。
致命的に似合っていない。
「服を買うなら、捨てなさい」の中にこんな文章がある。
いつもおしゃれにキメている人が、たまたまちょっとダサいものを着てきたとしましょう。あるいは、ポーチなどちょっとした持ち物が「あれ?」というようなものだったり、よくわからないデコネイルなどをしていたり。すると他人には、「いつもおしゃれ」という印象より、「なーんだ、意外とダサいのね」という印象の方が100倍強く焼き付いてしまうのです。たった一度でも、です。こうなると、次にまたおしゃれなものを着て来ても、「でもホントはちょっとダサい人でしょ」という評価になってしまいます。そんなリスクを冒してまで、「毎日違う格好」にこだわることになんの意味があるのでしょう?
あまり文章量の多い本ではないので、本文を引用することは避けたが、こう言った確信をつくような内容が凝縮されている。
非常に満足できる本だった。
そして、確実に私の人生に何らかの影響を与えてくれたと思う。