キッチンで作った料理をテーブルに運んで並べる。
テーブルの上には色とりどりの料理。
みているだけで幸せになる光景だ。
しかし私はそんな幸せな光景など求めていない。
キッチンで作ったものをそのままキッチンで食べる。
キッチンにテーブルがあるわけないので、立ったままだ。
テーブルに運ぶ時間がもったいない。
座って食べるとだらだらしてしまう。
家族や大事な人と暮らしているのであればリビングでテーブルを囲んだ食事の方が良いが、一人暮らしなら断然キッチンで立ったまま食事をした方が良いと思う。
五感を使って食事を楽しむ
食事とテレビがセットになってしまってはいないだろうか。
私も実家にいた頃はテレビを見ながら食事をしていた。
今でも、テーブルで食事をしているとテレビでもYoutubeでも、何か動画を見ながらでないと、時間を損しているような気がしてしまうのだ。
食事をしてからテレビを見るより、テレビを見ながら食事をしたほうが時間に無駄がないと考えがちだ。
実際、その通りかもしれない。
しかし、どちらも100%で楽しめているだろうか。
食事もテレビも娯楽である。
テレビを見ながら惰性で食事を口に入れて飲み込んではいないだろうか。
効率化を盾にして、生命をいただくという行為を疎かにしていないだろうか。
気の世界では、食事の時は、食べ物がここにくるまでに吸収してきたエネルギーを意識すると、より栄養を摂取できるという話があるくらいだ。
例えば、米を食べるときは稲が太陽の光を十分に浴び、綺麗な水で育った環境をイメージするという具合である。
そこまでしろとは言わないが、食べ物の味や見た目、食感など、五感をフルに使って食事を楽しんでみてはいかがだろうか。
テキパキするので時間短縮
キッチンで作ったものを盛り付けてリビングのテーブルに運ぶ。
食べ終わったら食器をキッチンに戻す。
二度手間なのは自明だ。
キッチンで作ってキッチンで食べてキッチンで洗えば、何も運ぶ必要はない。
そして、キッチンにテーブルや椅子はないので、立ったまま食べることになる。
やってみればわかるが、同じ量でも、立って食べるのと座って食べるのでは、立って食べる方が早く食べ終わる。
先述の通り、食事に集中しているというのもあるし、座っているよりも立っている方が動作がテキパキするのだ。
座っていればテーブルに肘をつけるし、食器は置いておけるので手がフリーになる。
立って食事をすると、片手に箸、もう片手に食器と、両手が塞がるので、食事しかできない状態となるのだ。
リモコンで面白い番組を探したり、スマホをいじってしまう事はない。
結果、食事に集中できる上に、テキパキと食べるようになるので、食事にかかる時間が短くなるというわけである。
ノータイムで洗い物
こんな経験はないだろうか。
テーブルに座って食事をいただく
↓
満足感で少し休みたくなる
↓
目の前には洗わなければいけない食器
↓
食器を洗うのが面倒で動き出せない
食事に限らないが、一度座ってしまうと、立ち上がって行動を起こすのが面倒になるのだ。
それが食器洗いのような作業となれば尚更である。
ただでさえ食事を終えて幸せな気分になっているのだ。
そこから立ち上がってキッチンまで食器を運び、それを洗うなんて作業、考えただけで嫌になる。
しかし、キッチンで立って食べていればそんな事はない。
キッチンにいるのだから食器を運ぶ必要はないし、すでに立っているのだから立ち上がって動くことへの抵抗が小さい。
結果、作る→食べる→洗うという一連の流れがシームレスに行えるのである。
その場で作って食べて洗う。
それをまとめて「食事」として考えられるようになる。
洗い物を後回しにする事は確実に減るだろう。
「洗い物をしたら座って休める」という気持ちが、むしろ面倒な洗い物への原動力となり得るくらいだ。
まとめ
私は一人暮らしだからこうしてキッチンで食事を完結させている。
しかし、家族や大事な人と一緒に暮らしている人は、しっかりとリビングで食べて欲しい。
私も実家に帰った時は親と同じテーブルで食事をする。
親の仕事が忙しくても、帰ってくるまで待って時間を合わせる。
実家暮らしだった時はそんな事はしなかったし、テレビを見ながらの食事だったので親との会話もほぼなかった。
しかし、会話は大事だ。
食事をしながらの会話はテレビと違って無駄ではない。
同じものを食べながら時間を共有するのは大切な事である。
今回紹介したキッチンでの食事は、あくまでも一人暮らしをしているからこそできる事だ。
その点だけは注意していただきたい。
そして、一人暮らしであれば是非とも実践してみて欲しい。
台所に洗うのが面倒な食器を貯めてしまいがちな人は特に。