先日、片手鍋が壊れてほぼ使えなくなりました。
取手が焦げて根元から崩れて外れてしまったのです。
私は安心しました。
鍋から解放されたのです。
そう感じる思考過程を説明します。
目次
物が壊れたらチャンス
鍋に限らず、普段使っている物が突然壊れたとします。
どうしますか?
「新しいのを買わないと」と考えてしまいませんか?
あるいは、代わりになるものを探して試してみたり。
つまり、失った物を補おうと考えるかと思います。
しかし、私はこれをチャンスと捉えています。
失った物を補うのではなく、失った物がなくても生活できないか試すチャンスなのです。
その道具を使わなくても生活できることを実証し、断捨離に繋げます。
結果、本当に必要なものしか持たないミニマリストに近づくことができるのです。
鍋が壊れてどうなる?
今回は鍋が壊れました。
鍋は煮たり炊いたり、料理に使える道具です。
じゃあ鍋を使って調理しないと食事ができないかと問われると、そうではないですよね。
鍋で調理しなくても食べられるものはたくさんあります。
私は主に鍋で玄米を炊いていました。
しかし、玄米は炊かなくても生で食べられます。
鍋で炊いた方が美味しいものの、別に炊かなくても良い。
むしろその方がガスと水の節約にもなるし、手間もかからないので都合が良いのです。
それでも鍋で炊いてしまっていたのは「美味しい物を食べたい」という欲望からです。
私は欲望に負けて、ガスと水を使って玄米を美味しく料理していたのです。
ところが、そもそもの鍋を使えない状況になってしまえば、炊くことができません。
自動的に生で食べることになり、節約ができるのです。
いわば鍋が壊れることによって、私は「味のためにガス代と水道代を多めに払っている」という罪悪感から解放されたのです。
レコーダーが壊れた時の話
以前も同じようなことがありました。
レコーダーが使えなくなったのです。
当時の私はテレビを持っておらず、ディスプレイにレコーダーを接続し、レコーダー経由でテレビをリアルタイムで見るか、録画した番組を見ていました。
ところがある日、レコーダーが使えなくなったのです。
リアルタイムで放送中の番組は見れるのですが、録画番組の再生ができなくなってしまいました。
普通に仕事をしているし、夜更かしもしたくないので、リアルタイムで見たい番組を見るのはほぼ不可能です。
ただ、どこか安心感がありました。
「もう録画リストに溜まった番組を見なくてもいいんだ」と。
実は、毎回見ているからという理由だけで録画していた番組がたくさんありました。
そこまで見たいわけではないのですが、せっかく録画した物を見ずに消すのはもったいない。
結局見ることもなく溜まっていき、録画リストを開くたびに窮屈に感じていました。
それがなくなったのですから、解放された気分になるのは当然と言えるでしょう。
結果、レコーダーを買い直す事はなく、iPadにTVerアプリを入れ、そこで見れる番組の中から面白いものだけを見る(主にバラエティ)ようになりました。
PCはMacBookの内蔵ディスプレイで頑張ると決め、ディスプレイも処分。
手放すきっかけが欲しい
中古店やフリマアプリなどで売れれば良いのですが、それができなければ、なかなか物を手放すことができません。
持っていても維持費がかからず、手放しても一銭にもならないのであれば、ついつい持っていることを選んでしまいます。
そんな中「壊れる」というのは良いきっかけになります。
買い直す前に、一度考える時間を作ってみてください。
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それは本当に必要か?
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なくても生活できないか?
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ない方が精神的に楽じゃないか?
どうして気づかなかったんだろう、と思えるような単純なアイデアで意外とどうにかなったりします。
私も気づいたものはできるだけ記事に起こしているつもりですので、よろしければ他の記事にも目を通していただけると嬉しいです。